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第8回 マオマオネットインタビュー第6弾 |
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イラストレーター
伊藤桂司さん
KEIJI ITO *R.CAGE INVISIBLE* |
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マオマオネットでは、さまざまなジャンルで活躍していらっしゃるクリエーターの方々に毎月お話を伺っていきます。なにかをつくりあげるために、どんな風な考え方や過程を経ているのか、いろいろなものがカタチになるまでのプロセスに重点を置いて、ものづくりに関するお話を聞いていこうと考えています。
できあがった作品の側面や、裏側のこぼれ話なんかも聞いていけると楽しいですね。
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イラストレーターでグラフィックデザイナーの伊藤桂司さん。 |
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| ●伊藤さんは、小さい子どものときから、いつも絵を描いていたそうですね。 | |
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そうですね。とにかく、紙とえんぴつさえ渡しておけば困らない、というような子どもでした。ご飯を食べたり、眠ったり、ごく当たり前の行為と同じ次元に絵があったんですね。そもそも練習嫌いということもあって、楽器やスポーツに深くハマることもありませんでした。とにかく絵だけは、ずっと変わらずに好きだったので、いずれ、そちらに進むだろうと、漠然と思っていたんです。 |
| ●アトリエには、ものすごい数のLPとCDがありますが、音楽に目覚めたのは、いつ頃ですか? | |
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目覚めたのは、中学生くらいのときかな。“パートリッジ・ファミリー”“サイモン&ガーファンクル”“カーペンターズ”などが、ポップミュージックの入口。“ドノヴァン”や“CSNY”もそうですね。“ビートルズ”は、絶頂期をしばらく過ぎてから聞き始めました。当時、全盛だった日本のフォークには、全く興味がなく、何かしみったれてる感じがして、「ダッセーなぁ」と思ってました(笑) 今のアトリエに並んでいるレコードは、その頃から集めているわけだから、かれこれ30年近い音楽歴になるわけですね(驚) |

| ●家族で、音楽好きだったんですか? | |
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どうでしょう…。家には、ポータブルの電蓄(電気蓄音機)があって、母親はクラッシックの名曲集とか、映画のサントラ盤を聴いていましたから、音に対して自然に慣れ親しむ雰囲気はあったと思います。 |
| ●直接、美術の世界から影響を受けるというより、音楽の世界からインスパイヤされることが多かったそうですね。 | |
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中学生くらいから、音楽を聴きながら浮かんでくるイメージを描く、という事をよくやってました。今では手元に残ってないんですが、その頃の絵で憶えているのは、道が遠くまで続いて、山があって、球体が浮かんでいるというような絵…。今の作品のプロトタイプみたいな感じがありましたね。シュルレアリスムも知らないような時期に、自然にそうした絵を描いていました。 |

| ●本格的にイラストやデザインに興味を持ち始めたのは? | |
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デザイン学校に通っていた年上の従兄(いとこ)からの影響は大きかったですね。デザインの世界を知ったことはもちろんですが、彼からの影響で、聴く音楽も広がっていきましたから。 高校2年生くらいの頃だったか、プログレッシブ・ロックを知ったショックは凄かったです。オランダのグループで“フォーカス”、“ELP”の「展覧会の絵」など…。TVで見て、とにかくガーンって感じで、今までのシフトが180度変わってしまうほどの衝撃でした。それまで聴いていた“カーペンターズ”は一体なんだったんだ? と思ってしまうほど、耳が飛躍、しました(笑) おそらく、プログレを聴き始めたことが元になって、音に対する許容範囲が広がったんだと思いますが、高校時代の吸収欲って、もの凄いんですよね。「聴けるものは、みんな聴くゾ」みたいな勢いで、民族音楽やバロック、ジャズ、グレゴリオ聖歌、“サード・イヤー・バンド”のような「錬金術的音楽」なんて怪しげな世界にも首を突っ込んでいました(笑) そのうち、「このレコード・ジャケットは、誰がつくったんだろう?」とデザインのことも自然に意識するようになったんです。“YES”のジャケットを描いたロジャー・ディーンとか、“ピンク・フロイド”や“レッド・ツェッペリン”で有名なヒプノシスとか…。その頃、シュルレアリスムの絵画を知って、あらためて図録なども見るようになり、プログレとダブらせて、イメージを膨らませたりしていましたね。当時、よく見ていたダリ、エルンスト、マグリットなどは、今でも好きな作家です。 |

| ●音楽とビジュアル・イメージとは、伊藤さんにとって、深く結びついているのですね? | |
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今思えば、高校生の頃、絵を描きながら音楽を聴いていると、完全にアストラル・トリップしていましたね。肉体から精神が離れたような状態で、日常の肉体の中にいる感覚とは全然違った異次元体験なんですが、そうした体験をして以来、音楽とビジュアルの関係性が、自分にとって特別なものになったんです。 音楽からのイメージだけじゃなくて、逆に、目にする風景から、それに合った音楽をセレクトしたオリジナルのテープをつくったりもしてました。その頃はウォークマンなんてないですから、大きなヘッドフォンを差し込んだカセット・レコーダーを持参して外を歩いたり。公園に寝っころがって曲を聴きながら、絵のことを考えていたり…、もう病気みたいなものですね(笑) |
| ●音楽づけの毎日も、すべてイメージを描きだすためだったんですね。さて、実際にイラストレーターとして仕事ができるようになるには、どんないきさつがありましたか? | |
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学校を卒業した後は、自分で1年間の限定付きと決め、印刷の基礎知識を吸収しようとシルクスクリーンの製版会社に就職しました。横尾忠則さんが、グラフィックデザインで活躍されていた頃だったし、メディアの最終出口でもある印刷技術をきちんと勉強しておきたかったんです。 その後は、アルバイトをしながら絵を描いていましたが、そんな時期に、「おもしろいことをやろう!」と知り合いに誘われ、ビジュアル・ユニットのようなものを組んだんです。一緒にフィルムをつくって、売り込みに行ったりして…。そのフィルム自体は、一般の企業では全く受け入れてもらえないような代物だったんですが、ある出版社だけが興味を示してくれました。さらに、自分のコラージュやプリミティブな作品を見せると、編集長だった佐内順一郎(現、高杉弾)氏に、「ス、スゴイ。これはオカルトだ!」みたいに言われて(笑) そこは、ポルノとオカルトが一緒になったようなアンダーグラウンド誌をつくっている出版社だったんですよね(笑) そのコラージュ作品が「JAM」という雑誌の最終号で掲載され、プロのイラストレーターの仕事がスタート。1980年、22歳の時です。 その後、リニューアルして出版された「HEAVEN」でも引き続いて仕事をしますが、この頃から、デザインにも少しずつ関わるようになっていきました。この雑誌は、同世代や早熟な若い奴が、けっこう見ていたらしいんですよ。僕の担当していた「シスコ」というレコード会社の広告を「いつも見ていましたヨ」なんて、グラフィックデザイナーの中島英樹さんから後々言われたり。当時、「HEAVEN」を見て連絡をくれる関係者も多くて、「ビックリハウス」や「宝島」などへも仕事が広がっていった、僕の大切な出発点ですね。 |

| ●現在も、イラストレーション以外に、グラフィックデザイン、アートディレクションなどの仕事をなさっていますが、どんな風にバランスをとって制作していますか? | |
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もう、長いことクロスメディアで仕事をしてきたわけですが、それでもイラストレーションの比重が高かったと思います。でも、ここ最近は、今まで以上にグラフィックデザインに力を注いでいこうと思っているんですよ。と言っても、イラストレーションと距離をとる、という意味ではないんです。従来どおり続けながら、互いの世界を還元しあえる進化した形で、さらなるパワーアップをはかろう! と思います。 イラストレーション、デザイン、ディレクション、仕事内容の比率は、時期によって増えたり減ったり。でも、1つの仕事だけに従事しないで、いろんな方向に広がっているほうが精神衛生的にイイみたいですね。忙しいのは慣れっこで、さまざまな仕事がバラバラと、とっちらかっているほうが、自分が“分裂”できて楽なんですよ。絵だけを描いていたのでは、どうしても“同時代性”のようなものを吸収しきれない気がします。僕は、どちらが欠落していてもダメなんですね。 |
| ●2000年は、宇多田ヒカル“FLY ME TO THE MOON”のプロモーション・ビデオ制作やロッテルダム映画祭での“MOTORWAY”の上映、RESFEST2000参加など、映像関連の制作も充実して、楽しいそうですね。 | |
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描いたものや、アイデアが実際に動きだす喜びって、新鮮ですね。時間軸が加わることで、平面上では表現しきれなかったイメージが一気に再現されていくんですよ。 昨年は、野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)さんやキリンジのプロモーション・ビデオなど数本、映像をつくりました。今まで、CM撮りで関わったことはあったけれど、ビデオクリップとしては初めて。映像について、僕は素人なわけですけど、どんどんやってみたいですね。でも、映像作家ではないから、立派なイイ感じのクリップに“いかに真っ向から立ち向かわないか?”っていうスタンスでつくってるんですよ(笑)。 |

| ●今後の作品の展開は? | |
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最近、大きな絵を描いていなくて、また描きたいなぁと思っています。今、描きたいなと思っているのは、抑揚のない風景。なんの盛り上がりもないような…。例えば、千葉の海、砂浜があって、その向こうに芝生や低木が生えていて、草原と海と空だけ、みたいなシリーズを描いてみようと思っているんです。この間、フィジーに旅行したときも、いろんな風景をたくさん撮ったりして、写真がたまってきているので、そろそろドカンと描きだすんじゃないかなぁ(笑) 今、調度、スイッチが入るのを待っているって感じなんですね。 それから、今までの制作にまつわるラフやメモ、インスパイヤされた図版、自分で撮った写真、新作なども含めた、さまざまな要素を並列にした“脳の断面図”のような本の構想を練っている最中です。デビュー当時の「HEAVEN」のコラージュなんかも掲載したりして、バラバラの“断片”をザックリ集めたような、ラフでルーズな400ページくらいの、分厚いスクラップ・ブックみたいな感じになるかなぁ。これを今年6月くらいまでに出版する予定なんですよ、ちょっと焦りますが(笑)。 |

| ●10年後、自分はどうなっていると思いますか? | |
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うーん、未来のことって、ほとんど考えないからなぁ。「豪邸に住む!」とか?(笑) 50歳を過ぎても、ユース・カルチャーとは密接な関係を持ちつつ、今と変わらず仕事をしていたいですね。山にこもって、ろくろを回してしまうようなスタンスは、自分は違うなと思っているので。社会と分断されない状態で、重たい感じにならないでいたいです。 仕事の幅も広げたいし、絵もいっぱい描きたいし、本もつくり続けたいし。でも、基本的には“今”しか考えてない子どもと同じ(笑) 子どもが輝いていみえるのは、今その場のことしか考えていないからなんですよ、未来の計画もなく、だから不安も心配もない。僕の場合は、一応、大人だから…、むしろ未来を見ないようにしているのかもしれないですけど(笑)。 |

| ●イラストレーターやグラフィックデザイナーなど、ものをつくる道に進みたいと思っている若い世代に、なにかアドバイスをお願いします。 | |
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僕は、計画的に先を考えるほうではないので、大それたコトは言えないですが…。ものを考えるときのスタンスを例にとれば、流行っているものに沿って、今はコレが来ているからコレ、みたいな戦略的な考え方はしないほうがいいと思ってます。流れは把握しつつ、無視したり距離をとれるような“余裕”がないとね。目先の流行を追いかけるより、自分の中の“新鮮なもの”を頼りにしていったほうがいい。 僕にとっては、音楽も美術も、知らないものはみんな魅力。みんな新しいというか。そして、またそれを片っ端から忘れていくっていうのが、いいんですよ(笑) 音楽でも、ロックしか知らないロック・ミュージシャンが、一番つまらないですよね。いろんな世界を知っていて、奥が深くて、多くの要素を蓄積している人の作品は、やっぱりおもしろい。特定のジャンルや時代に留まっていないで、いろんな世界を掘り下げていって欲しいと思います。メディアがスポットをあてる新しいものだけが全てじゃないってことですね。 |

| ●最後に、最近見た夢や、昔から何度も見て忘れられない『夢』を1つ教えてください。 | |
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学生の時に、課題で夢日記をつけていたんですよ。その頃、見た中の1つなんですが、強烈で、忘れられない夢があります。 女の人に案内されて、海の桟橋のようなところへ連れていかれる。海は、とんでもなく澄んだキレイさで、ハンパじゃない美しいブルー。空も美しいグラデーション。そこに太陽が5つか6つ、パッパッパッパッと弧を描いて、どれもオレンジ色に輝いている。1つの太陽が5つに分裂する感じで、ピカピカ光っているんです。気温も水温も、冷たくて肌寒い。とにかく美しい光景でした。20年経った今でも、しっかりと記憶に刻印されている不思議な夢です。 |
text by ohka matsuura
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○伊藤 桂司 Keiji Ito
*R.CAGE INVISIBLE* |
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●伊藤桂司HP(SLEEPY SANDWICH ) http://www.and.or.jp/sleepy/
●HAAS+CAGE 高野寛さんとの往復書簡 MUSIC
CLUB ONLINE
http://www.so-net.ne.jp/mc/columns/haascage/index.html
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