| 人ひとりひとりに多種多様な趣味・嗜好 たわいもない小さな好みの話の中に 心棒となる哲学や思想が息づいていることも… どんなところがスキなのかキライなのか? お話いただいた方の心の内が、ほのかに感じられる 息抜きエッセイをお送りします。 |
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マオマオネット インタビュー第10弾 | |
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本が好きですね。若いときは、アルバイトのお給料をほとんどつぎ込んで、作品集や洋書などを買ってました。本棚がすぐにいっぱいになってしまって、次々、本棚を足していかなくてはならない状態でした。もともと印刷物が好きなんです。その匂いや紙の質感、光沢、いろんな要素が組み合わされて、本の形態もさまざまですよね。自分で本をつくることも好きですし、もう“本フェチ”ですよ(笑) その他で好きなものといったら、現代美術です。それこそ、昔は作品集をせっせと買うしかできなかったけど、今は少しずつ、リアルタイムの作家の作品をコレクションしています。そんなに高いモノは買えませんが、もし10億円あったら、8億円くらいは作品を買いたいかな、それくらい好きですね。残りの2億円は、地方にアトリエの大きいのでも建てようかな(笑) 現代美術って、人によって1億円になったり、「何、この紙切れ?」みたいになったり、価値観の決まっていない部分ってありますよね。1つのダイヤモンドだったら、ある程度の価値基準は決まるんだろうけど。アートは、自分の価値観で、作品に対してお金を出せる。そこが、おもしろいと思います。きっと、誰にとっても等しく希少価値のあるものだとしたら、僕は、そんなに欲しいと思わないかもしれないです。 アートって無意味なモノでしょう? なくても死なないし。でも、アートがなくなったら生きていく楽しみがない。それくらいの存在になってますね。感覚的なものなので、言葉では言い尽くせないんですけど、僕にとっては、“好きか、嫌いか”だけのはっきりした世界です。 昔からずっと好きなのが、ドイツの作家のシグマール・ポルケ(Sigmar Polke)です。まだ、湯村輝彦さんの事務所でアシスタントをしていた時代に、オン・サンデーズで作品集を見つけました。湯村さんに「こんな作家がいましたよ」って見せにいったら、「俺も持っているよ」って言われましたね。作品は、高くて買うことはできませんが、作品集は15冊くらい持ってます。3〜4年前に、シグマ・ポルケの大きな回顧展がドイツのボンで開催されたときには、わざわざ一人で見に行ったんですよ。 この作家は、スタイルがあるようで、実はないんです。現代美術って、世間に認められるスタイルを確立すると、ずっとそれでイケちゃうんですよ、作品も売れるし…。でも、彼は、年代と共にどんどん変化していって、全く違うことをやっている。そのあたりも好きなんです。あまりに変わるので、年代によっては全然好きじゃない作風もあるくらいですが。 僕も、スタイルに縛られるのが、嫌いなんですよ。そのときどきにやりたい表現をやりたいし、その日の気分で絵を描きたい。常に新しいことをやっていると興奮できるんですね、ワクワクできる。それが自分の作品づくりのテンションになってます。 海外作品などのコレクションは、新しいモノからどんどん飾りたいですけど、自分の作品を飾ることは、あまりしませんね。つくるときが一番楽しくて、出来上がったときには、もう過去のモノという感覚なのかもしれないです。自分の作品に対しては、つくっているときが、一番興味あるときなんですよ。 今も、12冊で完成する“display”というフリーペーパーを制作しています。12冊すべて色が違うので、そろえて並べてもきれいだし、立ててディスプレイすることもできて、しかも、このボリューム感なのにタダでもらえる、というのが、おもしろいかなと。デジタルなものづくりが主流になっても、人に見てもらうための仕掛けを考えながら、こうして紙に印刷して、形にして、というところまでやるのが、おもしろいんですよ。本フェチな僕の、1つの提案ですね。 |
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無国籍料理みたいな屋台っぽいお店って、よくありますよね。僕は、そうしたアジアっぽいような、ちょっと汚い感じのする食べ物屋が苦手なんです。それに、国内外を問わず、“屋台”は全然ダメ。例えば、出てきた食器が濡れてたりするだけで、ウッと身構えちゃいますし、どこで食器洗ってるの? と思うと、ゾッとしちゃうんです。 香港へも行ったことはありますけど、あまり好きじゃないですね。ゴミゴミした中華街を歩いていると、なーんか、気分が滅入っちゃう。わりに高級っぽいキチンとしたお店なら、だいじょうぶなんですけど…。 昔、伊藤桂司さんと、谷口広樹さんと3人で、メキシコ旅行したことがあるんです。やっぱりメキシコにも、屋台が並んだような繁華街があって、そこに行ったんですけど、みんな平気で食べているのに、僕だけ店の雰囲気にやられてしまって、全然食べることができなかった…。たとえ美味しくても、味以前に、気分でヤラレちゃうんですよ。 昨年は、NYのチャイナ・タウンで、家族で食事していたときに、同じようなことがありました。僕は、食べ物の中で一番、“しゃぶしゃぶ”が好きなんですね。そこで、海鮮しゃぶしゃぶを食べよう! ってことになって出掛けたんですが…。そのお店は活気があってワイワイしているんだけど、いわゆる“アジアチック”な店だったんです。なんだか、食器はキチンと洗ってあるのかわからないし、すぐそばには、人が食べた後のカニやエビの殻が、ガサガサたくさん山積みになったままになっている…。そういうのを見ているうちに、気が滅入ってきちゃって、僕はすっかり無口になってしまったんですよ。でも、奥さんは、下町育ちで、大雑把な雰囲気もまるで平気な人。意気消沈した僕の姿に、「人がせっかく美味しく食べているのに〜」と、逆にキゲンが悪くなって、NYの街中で大ゲンカしてしまったんですよ(笑) 基本的には、キレイ好きかなと思いますけど、でも潔癖性とまではいかないですよ。まぁ、仕事場は、きちんと片付いていることが大切だと思ってますから、普通に整頓している程度です。他に気をつけていることといっても、夏場はよくシャワー浴びるとか、そんなことくらいです。汗をかいたままだと、やる気がなくなってしまうので、仕事場でも、すぐにシャワーを浴びちゃうんですね。あとは、昨日着ていたTシャツを今日も着る、とかはできないとか…。でも、これってそんなに変わったことではないですよね? “吊革が持てない”というのとは違いますし…(笑) とにかく、食べ物は、無条件に安心して食べたいんですよ。なんかビクビク、ドキドキしながら、食べたくないんです。だから、奥の厨房で、一体どんな手で料理しているんだ? みたいな疑念がわいてしまう店では、食事できないんです。はじめて入ったお店がそうだったりすると、気分が一気に滅入って、食べたくなくなっちゃうんです。 やっぱり、きれいな料理店は、当たり前だけど、清潔な食器がでてくるし、厨房もキッチリやっているんだろうなと想像させます。逆に、そういう不衛生なお店の影の部分を想像しちゃうと…。イマジネーションの仕事をしているせいか、良いコトも悪いコトもいっぱい想像しちゃうんですね、見えない部分を…。だから、食べるときくらい、よけいなことを想像しないで、安心して食べさせて欲しいんです。 近所に、おじいさんとおばあさん2人でやってる、ナゾの寿司屋があるんです。おばあさんは、不思議なカツラをかぶってて。おじいさんは背が小さくて、握っている手元がよく見えないんですけど、下の方で隠して握っている感じが、すごい嫌なんですよ(笑) なんか雰囲気的に、イキが悪いんですよね。お寿司屋さんでイキが悪いっていうのも、たまらなく怖いですよね。無造作に調理台の上に新聞がのせてあったり、丸めた布巾が放ってあったりするのも、どうかと…。寿司屋こそ清潔第一ですよ。不安で食べても、ぜんぜん美味しくないですから。 |
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基本的に、今と何も変わらないですよ。絵を描き続けていると思います。もし変わっているとするなら、キャンバスの大きな絵を描いていると思います。だから、もう少し広いアトリエをどこか別に構えているといいですね。 それから、海外にいる時間が長くなっているかもしれないなぁ。海外での展覧会や、外国作家の方と一緒に仕事をする機会が、だんだん増えているんです。きっと、向こうに行く機会も多くなるだろうし…。今は挨拶くらいはできても、ビジネス会話として通用するような英語は話せないので。10年後は、英会話がもっとペラペラになってるといいなぁ(2001年5月) |
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Hiro Sugiyama's Works
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