UP DATE:2001.10.1
 
人ひとりひとりに多種多様な趣味・嗜好 たわいもない小さな好みの話の中に 心棒となる哲学や思想が息づいていることも… どんなところがスキなのかキライなのか? お話いただいた方の心の内が、ほのかに感じられる 息抜きエッセイをお送りします。

  マオマオネット インタビュー第14弾
豊浦正明 Masaaki Toyoura
まおまおの人気コラム「Mの肖像」でも、独特の世界を展開中の写真家・豊浦正明さん。その神秘的なイメージとはうってかわった、豊浦さんの素顔は?スキ・キライの話も含め、写真へのこだわりや、幼少期の姿、気になる SMのコトなど、大胆に迫ります?!

interview: osamu sato

憧れのカメラマンより、憧れのカメラが、たくさんあった
自分で一眼レフ買ったときから、“写真を撮ってる”っていう記憶がある


1984年フジフォトサロン
「日大・芸・写真学科卒展」案内ハガキ

 


1991年細見画廊
初個展「muse」案内ハガキ

 


1992年ギャラリーゴダント
個展「anmuree」案内ハガキ

 


1992年ギャラリーゴダント
個展「ELISION」案内ハガキ

 


1994年細見画廊
個展「ANGE'S」案内ハガキ

 

 


1994年アートラッシュギャラリー
個展「ANGELIC MUTATION」案内ハガキ

 


1995年プリンツギャラリー
個展「ANGE'S&十年の記憶」案内ハガキ

 


1995年トッド・キャプランギャラリー
個展案内ハガキ

 


1995年トッド・キャプランギャラリー
個展案内ハガキ

 


1995年トッドキャプランギャラリー
個展「ANGE'S」案内ハガキ

 


1996年アートギャラリーセラール
個展「COLLECTION'S」案内ハガキ

――豊浦さんにとって好きなものって?
モチロン、写真…。

――写真を見ること、撮ること、すべて含めて?

まず撮ること。それで、作品をためること(笑)

――豊浦さんが、写真が好きになったのは、いつの頃からですか?
1970年の大阪万博のとき、小学3年生だったんだけど、初めてカメラを渡されて自由 に取ったのが最初。オリンパスペン、ハーフのバカチョン*だった。

――万博行くときにカメラを与えられて、それで撮るようになったわけ…。
うーん…。ま、それは、バカチョン*だから。そのオリンパスペンでは、犬とか猫とか、 撮ったくらい?あんまり憶えてない。その後、小学校6年生のときに、一眼レ フをお小遣い貯めて買った。この一眼レフを買ったときから、“写真を撮ってる”っ ていう記憶があるなぁ。

一眼レフを買ったのは、どうして? なにか撮りたいものがあったのか、それと も、とりあえずカメラというものが好きだった?
カメラかな。んー、メカが好き。「子供の科学」とか「初歩のラジオ」(2誌とも誠 文堂新光社刊)買ってた。

――どんなカメラを買ったんですか?
オリンパス OM-1。当時、最軽量人気カメラ。

――その当時って、小学6年生くらいで写真やってる人、多かったんですか?

いや、多くはないけど、友だちと一緒に、「SLが走るー!」とか言って、河原に機関車撮りに行ったりした記憶はある。

――小学校のときに撮っていた物は、SL?

SLは1回だけ。あとは、友達、撮ったり風景とか…。小学生の頃から、渋めが好きで、 なんでか、田舎好きで、白川郷の合掌づくりのポスターとか、部屋に貼ってたし。

――(笑)それは、変わってますね、小学生で。

ウン、変わってる。それで、自分でも、そういうのを撮った、わらぶき屋根の風景写真 とか、撮ったりしてた。

――なんの影響でしょうね。そういうのってカメラ雑誌とかに多かったんですか?
そんなんじゃなくて、単に自然が好きっていう…。

――育ったのは田舎なんですか?

中途半端な田舎。俺が育った頃は、ベットタウンしつつある頃かな。

――情報では神戸出身とか言ってるらしいですけど、本当は…。

神戸の外れ。いや、芦屋の、ちょっと外れ。うーん、ズーット外れで、岡山まで行かないところ(笑) だって地味な地名言っても分からんし。

――中学でも写真を撮るのが趣味だったんですか?
中学には写真部なくて、まぁ、写真はソコソコ好きで…。

――クラブ活動とかは、やってました?

中学時代、バレー部。小学校は水泳部。高校では柔道部。大学では、ちらっとワンゲル。一応、体育会系。

――では、写真部に入っていたわけではないんですね。
高校で、写真部があったので入った。そこで、写真のやり方を一通り憶えた。プリントとか、現像とか…。まぁ、柔道部もやってたんで、写真部はちょっとで、すぐ辞めてしまったけど。
 たまたま親戚の叔父が、俺が生まれる前に写真をやってたらしく、暗室の道具 を一式もってて、それを「じゃ、あげるわ」ということで、もらってきた。
 当時、なぜか、柔道部なのに写真好きな奴が3人もいたので、“柔道部写真家協会! ?”っていうのをつくった。写真部じゃないから、学校の暗室は使えなくて、家の風呂場で、写真をプリントしたり、暗室作業をしてた。自分でプリント始めてから、だんだん写真にハマったかも。
 それで、文化祭のときに、“柔道部写真家協会・写真展”っていうのをやった(笑) 文化祭って、普通、文化部だけなんだけど、なんでか、運動部も参加することになって、柔道“投げ技の解説”とかを、写真入りで説明した。パネル貼りにして。

――今も、その写真は、残ってます?

残ってる。実家にある。何でもため込むタイプだから。(笑)

――今みると、昔の写真って、どんなカンジです?

えー、どんなカンジって…。ちょうど高校生の頃、スーパーカーブームで、スーパー カーを撮る小学生や中学生が増えて、学生向けに「月刊カメラマン」っていう雑誌が モーターマ ガジン社から創刊された。それを読みだしてから、カメラマンっていうものに興味がでてきたかな。

――なるほど、そういう職業があるって知って…。

いやいや、それくらい知っていたって(笑) それから、月例に応募したりしてるうちに…。だんだん興味が出て。

――で、スーパーカーとかも撮ったり?

いやーー、スーパーカーは撮ってない、まわりになかったもん、
田舎だから。国産車ばっか。ランボルギーニやフエラーリなんか絶対走ってないって。

――芦屋だったら、あったんじゃないですか(笑)

いや、芦屋ちゅうても、外れ、西にズーット自転車で片道3〜4時間くらいか?

――笑笑

だから、写真をやるようになったのは、高校で暗室作業習ったのと、学生向け写真雑誌が創刊されたというのが、大きかった。

――それで、大学を選ぶときに、写真のある学科ということで、日大芸術学部を選ん だんですか。

他は、全部、工学部を受けたんですけどね、電子工学とか…農学部?!。 日芸は篠山さんも出てるし。

――では、理系の勉強をしていたんですね。なるほど。それで、ちょっと、話を戻しますけど、さっき話していた「カメラマン」という雑誌には、憧れのカメラマンとかは、出てました?
憧れのカメラはいっぱいあったけど、憧れのカメラマンは、うーーん。 誰か一人と言われると難しい。

――憧れのカメラっていうのは?

その頃だったら、キヤノンのA-1とかね、「カメラ・ロボット!」とか、タイトルついてたなぁ。

――やっぱり、メカ好きはメカ好きなんですね。でも、このアトリエは、あんまり、 メカ好きなカンジじゃないですね…。

…………。そうかなーー? メカだらけやん? まあ散らかってるから、荷物有りすぎ (笑)

――自分の作品として意識して撮り始めたは、大学に入ってからですか?

まあ、そう。課題があるから。その頃、篠山紀信の激写ブームとかあったし。雑 誌「写真時代」「写楽」とかが次々創刊されて、その頃、写真は盛り上がってたね。 「写真時代」のアラーキーの写真にはショックを受けた。大学2年くらいから、アラー キーっぽいものも、撮ってたこともがあるような気はする。

――女の子をはじめて撮ったときというのは、どんな感じでした?

高校生くらいのときから、撮ってた。「図書館で勉強する」と言って出かけては、望 遠レンズつけて、隣のテニスコートで撮ったり。

――今、考えると、ヤバイ?(笑)

いあ、高校生のときだから、ヤバないんちゃう? ヤバいんかなーー(笑) でも、 パンチラだけ撮ってたわけじゃなくて、カワイ子ちゃんとかも、隠し撮りてたし(笑)。 友達と一緒な訳だし…。

――そういうのは、暗い…とクラスで評判がたったりしなかったですか?
いや、別に。暗くないって(笑) 明るく健全! 青春です。集合写真を、二人だけで撮ったようにトリミングしてプリント、真ん中にハートマークを白く抜いたりして、掲示板に貼って遊んだり。高校の時って、「あの子の写真を撮って」とかって頼まれるやン。そういうのを撮ってあげたりしてた。
 授業中も、テスト返されるとことか、みんなでエロ本みてる様子とか。先生に気づかれないように、 オリンパスXAっていう極小カメラを胸のポケットとかに忍ばせて撮ったり…。
 運動会の時には、アホみたいにカメラ5台くらい持って行ってた、ハハハ(笑)  カメラいっぱい持ってるのが嬉しかったし、撮りまくっていたなー。


格好つけた生活って疲れるし、めんどくさい
おしゃれより、機能が大事



1996年ギャラリール・デコ
個展「Automatic Lady」案内ハガキ

 


1998年トッド・キャプランギャラリー
個展案内ハガキ1

 


1998トッド・キャプランギャラリー
個展案内ハガキ2

 


1999年キリンプラザ大阪
個展「H・R・カオス」案内ハガキ

 


2000年個展販売用カード

 


2000年アートギャラリーセラール
個展「覗き眼鏡:のぞきからくり」
案内ハガキ

 


2000年ギャラリール・デコ
個展「m&m」案内ハガキ

 


1988年山吉由利子人形展
案内ハガキ

 


1993年H・R・カオス公演
案内ハガキ

 

――今の作品につながるような、ヌード作品を撮るようになったのは、いつ頃からで すか?
大学時代から徐々に。でも、べつに、何かターニングポイントとかがあった訳ではないのよ。激写ブームの延長ってこともあったし。「写真時代」の影響とかいろいろ。 写真が好きで始めたから、撮りたい物があって始めた訳ではないので、その辺、卒制で何撮るか悩んだかも。

――作品的には SMが多いんですか?

作品的に、SM系は確かに多い。掲載が「SMスナイパー」とかが多いから、縛ってな いといけない、という制約がある。で、必然的に多くなる。でも特に、そんなにSMにこだわっているわけでもないけど。

――SMと、SMじゃないヌードと、普通に服を着たポートレートと、豊浦さんのなかで は、そんなに差はないんですね?
差はないけど、服を着たポートレートを撮っても、作品としては成立しにくい。インパクトを追究していくと、SM的なモノに、なりがち。ただ、そういう時期もあったけど、今は、それに固執してない。逆に、縛っている間、待ってなくてはいけないし、自分で縛ると撮ってるだけの3倍くらい疲れるし。今、未発表の作品がいっぱいあるけど、それらの写真は、そんなにSMにはこだわってなくて、廃墟でヌードとか、自然の中のヌードとかのほうが多いかな。 まあSMの話はまた次の機会にでも掘り下げて(笑)

――背景に“廃墟”が多いのは?

純粋に廃墟の空気感が好き、絵になるし。廃墟初体験は、大学3年生くらいのときかな、鎌倉の廃墟。「学生の撮影です」とロシア人のおばあちゃんを丸め込んで、ただで撮影。七里ヶ浜に、アンナ・パブロアっていうバレリーナのレッスン場があって、そこが廃墟になってた。
 それは、卒制に使った。ずいぶん後で、旅行会社のパンフにも使われた、今もフォトニカで貸し出し中。その写真は、ヌードとかじゃなくて、ファッションっぽいかな、「流行通信」っぽい(笑) 高校時代から、「流通」買ってたし。あの頃は、横尾忠則がADやったり、久留幸子が撮ってたりしてカッコ良かった。そう言えば高校時代、久留幸子の写真を下敷きに入れてた。アイドルじゃなく広角の独特なシュールな写真。

――スタイリッシュでおしゃれな写真が好き?
 
そう! 後は完成度かなー。見た目のバッドな、汚い写真は嫌い。

――嫌いなものをとくに、あげるとしたら?

下手な写真。なんか、インパクトがあったとしても、汚い写真。完成度のない写真。それとつまらない真面目すぎる写真はダメ。

――それは、素人の写真も含めて、許せない?

いや、それは許すも許さないもないよ、別に素人は、好きにやったらいい。でも、俺 の前には見せに来んといて、と思うな。前にプロ(?)で「影響を受けました」と言って見せに来た人いたけど。その人は、スゴイ被写体撮ってるし、撮る物は似ている んだけど、完成度がない、なんか綺麗じゃない、インパクトだけの写真。あれはキライだった。

――唐突だけど、“お笑い”は好きですか?

モチロン関西人やからねー、土曜の昼の吉本新喜劇&漫才で育ってるし。(笑)

――豊浦さんって、写真作品と、本人の風貌とが、ぜんぜんバラバラですね(笑)
コワそうと思うと、基本的に関西のボケの人だから、“すべてのことにボケなアカン ”っていう姿勢があります…?

それは“基本”でしょ。

――でも、写真では、ああいう独特な雰囲気だし。どんな人だろうと会うと、コ レだから、みんなびっくり。

そうそう(笑)

――で、話を戻すと、とにかくセンスのない写真が、嫌いなんですね。

ここでいうセンスっていうのが、何かよくわかんないけど。つまらんなと思うのは、30秒で出たくなるような写真展。撮っている物が陳腐で今までに見たことあるようなものばっかりで、それを単純にズラズラと並べているようなだけの工夫のない写真展。
それはアカン許せない、だってホンマに退屈やもん。

――最近の、若手写真家については、どう思う?


ヒロミックスとか最近の流行は、感覚的にはいいと思う。ただ、感覚写真もいいんだけど、彼女じゃ無いけど女性の若手の某さん、ストロボ使いながら、シャッタースピード間違えて幕切れ起こした写真撮って、それを平気で掲載していた(編集者の嫌がらせかもしれないけど、だって普通そんなの掲載しないかトリミングするもんなーー)。「おいおい」って感じ。 
やっぱり写真って、ある程度、技術の部分があるから、最低限のレベルは知ってろよ! って感じ。でも、まぁ、今写真は、シャッター押せば撮れるからなぁ。

――デジタル・カメラだと、今、その場で見られるしね。

そうやなー、そのうち、全体的にデジ・カメのほうへ移行するよなー。そうなったら写 真は“絵”に近づくんじゃない? 技術だけじゃ仕事にならない。デジタル処理をし て絵作りが出来る人が生き残るのかも? 逆にスーパーのチラシ写真なんかは誰が撮っ ても一緒だから、カメラマンの仕事では無くなるやろね。

――モノクロの魅力って、自分で現像をコントロールできるトコロにもありそうです が、カラーの現像も自分でコントロールできるとしたら? そして、コンピュータに 手を出す予定は?

カラーも自分でコントロールできるって。でも、モノクロの10倍くらい、めんどうか も。コンピュータはやりたい。いずれ、やらなきゃいけないだろうけど、それを憶えるのが、今はまだまだ、めんどくさいぞ。あんなの早く覚えなくても簡単に出来る様 にならんのかなー。
 やっぱり、マシンに向かってやるのと違って、銀塩は、体力勝負みたいな感じで、 手になじんじゃってるから、それこそ立ち食いソバ屋の親父のように動ける。パソコンのプリンターより早い! マジ(笑) 
 あと、デカいプリントとかするときは、ホント体力的に疲れるよ。ずっと座っているようで座ってないからね。動いてる方が楽しい。モニターの前にじーっと、と言うのは性に合わない。小学校の頃、通知簿に落ち着きがないって、いつも書かれていた からなー(笑)

――写真以外で、これ違うよな、と思う物は? こだわるのは、写真だけですか
デザインや絵とか、世の中、自分にあわないなと思うものは、他にどんなものがあり ます? 例えば、身の回りのもので、デザイン的に許せない、と思うものとか…。 

身の回りのものに関しては、デザインよりも値段を優先かも。とりあえず、100円ショップ大好き。勿論デザインがいいのに、越したことはない。けど、同じ物で何倍もの値段がするんだったら、安いほうを買うかな? 後は機能重視。カメラも100台以上有るけどライカ・ハッセル・ローライは持ってない、国産カメラばかり。壊れても修理も安いし、気にせずガンガン、ラフに使えるからいい。まあ儲かってたら高い修理代も気にならないけど! 貧乏だし(笑)

――ということは、写真に関してだけ、厳しい?

なんか違うけど? そう言う事なのかねー? 格好つけた生活は疲れる。 おしゃれより、便利を取るなー、なんかスカしたフォトグラファーとか多いけど、私は息抜いて ゆっくりって感じ。

――好きな物も、嫌いな物も写真のなかにあるってことですね。

そうかも。全てが写真中心。このアトリエにあるのも、骨・流木・石とか、SMグッズ とかも、みんな写真につながっているモノばっかり。




1997年相場るい児人形展
案内ハガキ


2000年相場るい児人形展
案内ハガキ

――今、40歳になったとこですよね。10年後、50歳になったときって、なにをやって いると思います?
いや、わからへんなー。写真やろ、それしかないモン。たぶん。

――最近、デザイナーやヘア・アーティストが写真もやるってことは、よくあります よね?
逆に、写真家がデザイナーになったり、ヘアメイクになったりするのは、ないよね。写真家のほうが魅力的なんとちゃうん?

――それは、あるかも。人を写したり、ものを写したり、すごい魅力的なことなんで しょうね。 
あー、でも、文筆業も始めるかも…。田口ランディの印税生活には憧れが…ハハハ (笑)

――今までの豊浦さんが撮った作品の他に、今後、どんな写真をやっていきたい?

もうちょっと、ちゃんとコンセプトを立てて撮るのもいいし、万人受けするきれいなカラー写真、前田真三みたいな風景写真とかね。それに、藤原新也のように、文章と写真がドッキングしたのをやりたい。ちょっとお笑い入りで、写真はクールみたいな?! そんなのもいいかなぁ。あっ? 今のマオマオの連載か?!(笑)
 まっそんなことより、とりあえずは、作品まとめて写真集作りたいっす。写真一杯あります。出版社の皆様、是非ヨロシク。
(2001年9月)

 

バカチョン

差別用語だ使うな!との指摘を受けた。

当時、お子様向け全自動カメラのことをバカチョンカメラなどと呼んだ。

しかし今この言葉は放送上最重要注意用語の一つ。生放送なんかで神経を使う言葉だそうだ。

確かに、「馬鹿」と、朝鮮人蔑視の「チョン」という言葉とを合わせた用語ともとれる。朝鮮人侮蔑用語の最右翼と考えられていることは事実でしょう。

でも反論 
「バカでもチョンでも」は「西洋道中膝栗毛」(仮名垣魯文、明治3〜9年)に「仮染めにも亭主に向かって…ばかだのちょんだの野呂間だの」と記述があり、「ちょん」の意味は、「おろかな者、取るに足りないものとしてあざけり言う語」とあり(広辞苑)

これが本来の正当な使われ方だと思う。だから、そもそもは「バカチョンのチョン」には、朝鮮人を指称する意味合いはなかったはず。

子供時代からのこのバカチョンと言う言葉に凄く愛着を感じる。
だんじて差別用語だとは思わない。

軽くてとっさにシャッターを押せば撮れる便利なカメラ
それがバカチョンカメラなのである。

小学生の頃からバカチョンカメラは使い続けてきている。心の友
まあ最近はデジカメに変わりつつあるけど。

今さらコンパクトカメラとか全自動小型カメラなど
そんな他人行儀な呼び名は呼べないわ、呼びたくないのよ。
幼なじみの同級生を苗字でさんづけで呼ぶ様な物
そんな感じ。

バカチョンって響きは、なんか愛嬌があって可愛いと思いませんか?

私は韓国料理が大好き! 韓国に行って焼き肉食わずに帰ってきた思いですらある
関係ないか?

でもなんかホントにバカチョンで嫌な思いする人が大勢居るなら
使えないのもしょうがないかとも思う。

でも どうなのヤバイそうだから止めておこう!
それで問題が解決??

要は言葉じゃなく心の問題っしょ?!
垢擦りもサムゲタンもチヂミもキムチも韓国海苔もマッコリも大好き!
あっ食べ物だけか!
大山倍達も力道山も松田優作も大好きさ!

と言う訳でバカチョン使わせて貰います。


 

Masaaki Toyoura's Work



ANGES表紙


十年の記憶表紙


emmuree表紙


ELYSION表紙


RASEN表紙


黒の標本CD-ROMカバー


○豊浦正明 Masaaki Toyoura
1961年兵庫県生まれ。1984年、日本大学芸術学部写真家卒。1991年「muse」(細見画 廊:東京)以降 東京・大阪・ロサンゼルス等個展多数開催。写真集に、『ELYSION』 (トレヴィル)『十年の記憶』(新潮社)などがある。 black+white ZOOMなど海外にも作品を発表。モデル常時募集中。


マオマオネットで連載中の豊浦さんのコラム
豊浦正明写真帳『Mの肖像』はこちらから



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