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林田健司さんインタビューは、連休はじめ頃に配布予定のマオマオフリペにも掲載いたします。配布時期が決まったらサイトでお知らせいたしますのでしばしお待ちください。フリペ配布店は一覧はこちら |
| さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。 |
| <原稿訂正のお知らせとお詫び> 4月1日に掲載いたしました林田健司さんインタビュー記事中、一部原稿に「卒業後に絵の勉強をしていた」という間違った情報が掲載されておりました。これは当方のまちがいです。4月3日23時50分に削除して再掲載させていただきました(現在お読みいただいている記事です)。申し訳ありませんが、4月3日以前にインタビューをご覧いただいた方は、現在の記事を再度お読みいただければ幸いです。当編集部のミスで皆様には大変ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。またメールにてご指摘いただいたファンの方々どうもありがとうござました。 <マオマオネット編集部 > |
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マオマオネット インタビュー第19弾 | |
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どういう子供時代をすごしましたか? 音楽との出会いは、そのころにありましたか?
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父が、長崎出身で、歌手を目指していたようなんです。小さいころ、父の横で歌っていると、半ば強制的にコブシを教えられたりしました。民謡みたいなものです。自分ではイヤではなかったので、けっこう楽しんでいたようです。たぶん3歳くらいのときです。
母方のおじいさんは、和太鼓の師匠で、家中に太鼓が一杯ならんでいました。そこに行ったりすると、やっぱり子供は叩きたくなる訳です、やみくもに叩いていると、おじいさんが「そうじゃない!」とかいって、おしえてくれたりするのです。これが5歳くらいのころです。 でも、ほんとうはピアノを習いたかったんです。父に「プロ野球の選手になれ」っていわれ続けていて、リトルリーグにいれられました。そのあともずっと野球は続けていましたが、中学時代の部活の先生とうまく行かずにやめてしまいました。ずっと巨人の高田選手が好きでしたね。 ギターに興味をもったのは、小学3年ごろ。長崎にいた従兄の影響です。冬休みのあいだ、長崎へ帰っていた時です。そこに行くと従兄のバンド仲間が集まってくるんです。それがなんとなくかっこよかった。よく一緒に練習スタジオについていき、防音されたスタジオも宇宙船の中みたいで、なんか新鮮でしたね。 |
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そしてギターに興味をもったわけですね?
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従兄がレスポールモデルを持っていたのですが、いままで知っていたナイロン弦のガットギターなんかより、まず造形的に格好良かったですね。それから、見ようみまねで、従兄の留守中にこっそりとギターを練習しました。従兄も教えてくれるわけじゃなかったので、音を一音一音探して練習しました。冬休みが終わる頃には、コードがだいたい弾けるようになっていました。学校が始まると、学校の先生のギターを持ち出して、みんなの前で得意顔で披露していました。 その後は、ずっとギターを弾いてました、野球もやってましたが、ギターにどんどんのめり込みました。ちょうど5年生のときに、KISSというバンドをはじめて耳にするのです。「これだー!」と思いました。それからはKISSのコピーをするようになりました。 KISSのメイクや風貌は怖かったんですが、「この音楽をプレイするには、なんかこの風貌である理由があるのでは?」とずっと思ってました。ただ、自分もあのメイク・風貌をしようとは思わなかったです。いまでもずっとKISSは好きですね。 |
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初めて買ったレコードは、なんでしょう?
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実は「KISS」じゃないんですよ。最初は、同級生の女の子に聞かせてもらったんです。カセットテープにコピーしてもらって。初めて自分で買ったのは、渡辺真知子さんの『迷い道』、あの「♪現在過去未来〜」というのにやられました。今回のインタビューのタイトルにぴったりですね。(笑)あれは、衝撃的でした。 |
| 初めてプレイしたバンドは、どんな感じでしたか? |
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中学生の時です。めちゃめちゃなバンドで、アリスをやったり、KISSをやったり、DEEP PURPLEやLED ZEPPELINもやらなければと、もう支離滅裂でした。しかも僕は、最初ドラムス。ドラムが格好いいと思っていました。ギターもずっと弾いてましたが、「絶対ドラムが格好いい」と信じていたんです。当時ドラムは高くてお金持ちにしかできませんでしたので、ドラムを持ってる金持ちの友達のを奪い取って叩いてました。 |
| そのバンドでは歌っていなかったんですか? |
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考えもしなかったですね。ロックは、演奏する方がぜったい格好いいと思ってました。その後もなんとなくバンドは続けてましたが、「なんかコピーはやだな」と感じ始めてました。 |
| 初めての作曲は、いつごろでしょうか? |
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17歳、高校2年のころです。失恋して、ギターで作りました。もちろんマイナーからはいってます。どろどろの曲です。まだどこかにそのノートも残っているかもしれませんが、この話は危険ですね(笑)。いま思うと、たぶん100点満点中3点くらいの出来映えですね。「気持ちだけ買うよ」というところでしょうか。 |
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学生時代は、どのようにすごしましたか?
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中学生くらいのときは、すっごい不良でした。いわゆる「ツッパリ」「ヤンキー」のカッコをしてるのですが、授業が終わるとすぐに帰ってギター少年になりました。不良仲間はキャロルなんかを聴いてましたが、僕はハードロック一筋。マイケル・シェンカーやUFOなどを聴いてギターを弾いてましたね。早弾き対決なんかをしてました。高校くらいになると、あんまり聴いたりしなくなり、自分で作曲して、自分で演奏するということへと興味が移ってきました。 |
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その後どんな音楽生活でしたか?
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| いちばん最初の作曲は失恋の曲でしたが(笑)、その後ハードロックを聴いて、ギターを弾いて作曲するわけです。たくさん作曲しました。ただそうやっていると、ギターのリフから作曲するのには、限界を感じてきました。表現しきれない、と感じたのです。 そんなとき、マイケル・ジャクソンを耳にしました。そのベースラインがカッコいいんです。「ベースラインが大事なんだな」と感じ、すぐに友人にベースを借りました。それからはベースを練習し、BLACK MUSICをいろいろ聴きました。James Brown、SLY & THE FAMILY STONE、PRINCE。そこからたぶん、自分の作曲の幅は確かに広がったし、変わったんだと思います。 |
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それからデビューまでは、どのように過ごされてました?
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基本的には、バイト三昧でした。 19才くらいの時から、デモテープを作り始めていました。友達からカラオケ用のテープレコーダを借りて、ピンポン録音をしてました、今思うとかなりチープなデモテープです。ドラムとベースをとりあえず弾いて、そこへ勝手にギターでコードをつけて、勝手に歌うという、乱暴な不思議なデモテープでした。 |
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そこでデビューですね?
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| いや、違うんですよ。なかには律儀に感想を書いて返事してくれた方もいて、たとえば「君の音楽は早すぎる」とか(笑)。 そこでさきほどの従兄の登場なんです。彼はジャズミュージシャンでベースをやっていたのですが、その彼がある音楽プロダクションの人に渡してくれたのです。それで作家として契約することになりました。そこでは、中山美穂さんや少年隊などに曲を提供しました。そのころは、ホントにたくさん作曲してました。最高ペースのときは、3ヶ月間1日1曲なんていうノルマを事務所から与えられてました。「デビューしてしまうと、曲を書く時間がどんどんなくなるから、いまのうちに書いておけ」といわれてました。さすがに大変でしたが、今の僕にとってはこれが財産になっています。ホント、いまやれているのはそのときのおかげです。 |
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それから3つの転機、出会いを挙げるとすると、どんなことを思いだしますか?
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1つめは、やっぱりデビューですね、BMGで、当時B'zを担当していたディレクターさんとの出会い。ここがやっぱり1つの出発点です。たまたま飲み屋のカラオケで、自分のデビュー曲の「SHERRY」が流れてきたとき、なんか不思議な感じがしました。 2つめは、『紅組』と『白組』の2枚のアルバムを同時に出したとき。 デビューはしましたが、その世界で成功することや、そこで自分らしくいられるのは難しいと考え始めていました。スタッフのいうとおりに、曲を書き、プロモーションしても、なかなか変わらない、と感じていました。そこで直談判して、好きなアルバムを出させてくれといって、『紅組』と『白組』の2枚を同時に出したんです。『紅組』は、自分の好きなようにやって、ポップとは考えられにくい曲。『白組』は、ポップで誰が聴いてもわかりやすい曲を。僕としては、紅組を勝たせたかったんです。僕の子供時代、運動会では、いつも紅組で勝ってましたから。結局は白組の勝ちでした。でも僅差でした。 3つめは、レコード会社の移籍から始まります。レコード会社を移ってみると、もっとみんなに合わせて自分を作っていかなくてはならない感じになっていきました。いわゆる『白組』的なことがどんどん強くなってきて、自分でも、曲を書く引き出しがどんどんなくなっていることに気がつき始めていて、もうやめたいと思っていました。 ただそのころには、作家的には、SMAPが僕の曲をヒットさせたりしていて、スタッフには、そんな僕の気持ちはなかなか通じませんでした。「止まったら終わるよ」とかいわれて。 ただ、内側からこみ上げてくるものもなく、ノウハウだけで曲をかいている自分に限界を感じていたんです。そんなとき、事務所を変わるというタイミングもあって、「チャンスはここだーっ!」て、本当に音楽活動を停止しました。 |
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その休止中はなにをして過ごしておられましたか?
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音楽は、まったくしませんでした。聴きもしませんでした。曲も浮かばないように、僕の中にある音楽スイッチをOFFにしてました。散歩したり、特に山登りをよくしました。富士山、御嶽山、高尾山、いろいろ登っています。いまの趣味は登山ですね。最近も大菩薩岳にスタッフを連れて登ってきました。山は、いろいろなことを教えてくれるのです。あと、日本橋から沼津まで自転車で完走しました。24時間テレビみたいでしょ? 友人に車で併走してもらいながら、実際にはテレビじゃないけど、ネットにはアップしながらやり続けました。そのころって、ネットが自分と社会の接点でしたから、けっこうファンの反応に勇気づけられました。 山登りや自転車には、達成感があります。でも、その達成感だけでは、自分が満足できなくなってきていました。どうやらまた音楽の虫が騒ぎはじめてきた。なんかやりたいと思うようになりはじめました。 |
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活動再開ですね?
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そこで『Doors』というアルバムをつくりました。これは、本当に自分のためにつくったアルバムです。宣伝コピーに「純度200%の林田健司」とあるように、ほとんどの作業をプライベートスタジオで、自分でできることはすべて、作詞作曲からミックスダウンまで納得のいくまでやりぬけたと思います。ただ、発表した今になって考えてみると、このアルバムは、自分を慰めるためにつくったアルバムのような気がしています。ファンにもそれが伝わるらしく、「涙がとまりません」とかいった感想をいただいたりします。これからは、ファンのためにもつくらなくてはならないな、といろいろ考えさせられました。 今度のシングル『Feel Me.』は、スタッフのために音楽をつくろうとすごく意識しました。だから次のアルバムは、ファンのためにつくるものにしようと考えています。 『Feel Me.』は、75%の林田健司ですかね。25%は、ちょっと自分の「バランス」とちがいます。25%は、スタッフの意見を聞くということですね。ファンのためにというのが、たぶん「100%の林田健司」じゃないかなと思います。それが理想。200%じゃ濃すぎるだろうから。 作家として、他の人のために提供する場合には、その人を意識したりイメージしたりするのですが、そこに「林田健司」を注入するのは、歌なんです。ふつう楽曲提供には、仮歌をいれて曲をわたしますが、このときは実際に僕が歌うのです。歌詞は決まっていないので、いわゆる「ホニャララ語」です。でもそのときの歌のシャクリ方やクセなんかが「林田健司率」を、たぶん60%くらいあげてくれるのです。 |
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林田さんの音楽にとっていちばん大切なものは、なんでしょうか? メロディー?
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| 自分の音楽で一番大切なものは、メロディーなんだろうけど、いや、やっぱり「バランス」です。曲を作っているとき、自分のなかで考え抜かれているものがあって、それが、アレンジやミキシングなんかで、自分の思っている疾走感やグッと来る感じが変わったりすることもあります。もちろんそれがおもしろい場合もありますけれど、やっぱり「バランス」。いろいろなものの「バランス」で、僕の音楽はできていると思います。つまり「林田健司率」のバランスでしょうか! |
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話はそれますが、クレジットなどに「Produced &
Performanced by ぬ ! 」とありますが、「ぬ」とは、なんですか?
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「ぬ」っていう響きがすごく好きなんです。特に理由があるのではなく。ひらがなだけの「ぬ」がいい。「ぬ」という文字のデザインや形・印象が、ものすごく好きなんです。特に「ぬ」という文字を書く最後の、まるく回って書く部分。あの最後のまるい部分が、とてつもなく快感で、個人的に深い愛情を感じてしまうんですよね。ホント意味がない! でも「ぬ」という字には、なにか不思議な力があると思いません? もっともっと「ぬ」を広げたいなあ! 街中のいろいろな場所のあちこちに「ぬ」という文字を見かけるようになるといいな(笑)。 |
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最後にこれからの林田さんの予定を教えてください。
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| まず、シングル『Feel Me.』が発売されます。そしてコンサートツアー。あと「100%の林田健司」のアルバムをつくる予定です。 |
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では、最後に未来を?
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| 20年後くらいだったら畑を耕していたいですね! 「畑も持ってる、FUNKな男」って呼ばれたいですね(笑)。 |
取材・文/佐藤理
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Kenji Hayashida's
Work
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林田健司 official web はこちら
http://www.orangegrove.jp/k_hayashida/
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