UP DATE:2002.08.19
 
さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。

マオマオネット インタビュー第23弾
ヘアスタイリスト
アルファ/
杉山 一真
さん Kazuma Sugiyama

長野を拠点に展開するヘアサロン「アルファ 'ALPHA」の代表 杉山一真さん。アルファは、長野のみならず、昨年春には表参道へも進出。今後もますますの活躍が期待されています。サロンとは別に、独自の教育機関AHA(アルファ・ヘア・アカデミー)を持ち、実践と教育に全力を注いでいるその活動は、業界でもいま注目の的。また、そのコンセプトとインテリアにこだわったサロンは、グッドデザイン賞を受賞するなど、多方面で注目されています。そんな杉山さんに、現在・過去・未来についてお伺いしました。


小さい頃はどんな子どもでしたか?
一言でいえば、変わり者。目立ちたがり屋でしたね。人とちがう服を着るのが好きだった。小学校三年からポマードをつけてリーゼントをやりだしちゃった(笑)! いま気づいたんですけど、それが漫画『巨人の星』の花形のヘアスタイルの影響だったんですね(笑)。見る感覚が強かったのかな。もちろんポマードつけてる同級生なんてひとりもいませんよ。それが初めてのヘアスタイルへの興味。

幼い頃から、美容師でもないのに母がカットしてくれていたんです。どうもそれも不満だったのかもしれない。子ども心にも、これスタイル的におかしいんじゃないかと思った記憶がありますね。それ以降、どんどんヘアスタイルへの興味ができたんじゃないかな。

その後も、ヘアスタイルへの興味は続いていくのでしょうか?
そのあとは、野球部に所属したものだから高校卒業まで坊主生活(笑)。でも、ほんの少しの時間、たとえば部活の後のわずかな時間に、着るものだけは赤い細いパンツを穿いたり、当時のアイビースタイルをまねたりね。ファッションには関心がありました。野球部なのにも関わらず、隠れて私服で登校下校してましたよ。野球やってるのにそんなことやってましたからね。そのせいかどうか、とうとうレギュラーにもなれずベンチ温め歴も長かった(笑)。

そのときの野球体験は、いまの美容の仕事になにか関連がありますか?
ずっとレギュラーになれなかったんですよ(笑)。でも監督が素晴らしい人で、その監督の後ろで、人をキャスティングしたり監督することの面白さを知りました。ベンチを温めながら、ね(笑)。だから采配や練習の組み立てが好きだった。まあコーチみたいな気分ですよ。一歩離れてチームをみると、全体のことがわかるじゃないですか。それが引いては、いまのスタッフのキャスティングや店づくりに結びついているのかなとは思います。

いま長野と東京も併せて全部で7つのお店がある。そこに110人前後のスタッフがいる。それがねえ、面白いんです。それぞれのキャラクターがあって、チームワークの組み合わせを考える。100人くらいの規模が、いちばんパーソナリティを活かせるサイズのような気がします。

美容師になろうと決めたきっかけはなんでしょうか?
高校の終わりに、何になりたいか考えたんです。一番は、野球の監督をやりたかったので教師。でも、教師にならないと監督はできないといわれて(笑)。それから建築に興味があったので、設計士。そして美容師。この三つの師に憧れてたんです。

ところが高校が終わると、野球部での坊主頭の鬱積が高じて、毎日美容室へ通いだした。そのお店の美容師から、「男の美容師でも凄いのがいるんだよ」とか「鋏ひとつで世界で有名になってる人がいるんだよ」と、美容師について教えて貰った。その当時マスコミを賑わせていた方が、海外で活躍する石渡先生でした。先生の伝記が掲載されていた雑誌もそこで見せてもらった。パリやNYで活躍する話を読んで興奮しましたね。でも、一番衝撃的なのはその容姿でした。ロングヘアで最先端のファッション。美容師ってのは、こんなに一風変わってても仕事としてやっていけるんだと思った。それに、子どもの頃から海外への憧れがあった。いつかは海外へ、という考えも根っこにあったんですね。

監督(教師)には、野球というチームワークの面白さがあったから憧れていた。設計士には、ものづくりが好きだったからなにかを作り出したいと願っていた。ところが美容師は、人に技術を教えるという教育の面もあったし。ヘアデザインをつくるというものづくりの面もあった。二つの師のいい面を兼ね備えていたんですね。だから美容師に決めた訳です。

その後美容学校へ進まれる訳ですね。学校生活はいかがでしたか?
美容学校に入って、初めて真剣に勉強した気がしますね。初めて入学手続きで東京へひとりで行ったときは、そりゃあ怖かった。そのときに叔父が「ハチ公の像の上で待ってろ」といったんですよ。そりゃなんかの冗談だと思ってそこへ行ったら、叔父が本当にハチ公の像の上に載っかって待ってるんですよ(笑)! このハチ公体験で東京の自由さを感じましたね。「なんでもありの世界だ! これからなにかがやれる!」と思った。それからの美容学校時代は、忘れられないくらい面白かったですね。もうバラ色だった。震えるほど自由を満喫した。たとえ学校でも、自分がやればやっただけ、仲間がなにか感じてくれるし、評価してくれた。プロの世界の入口に来た感じがしました。

その後、美容師として東京で活躍されていく訳ですね?
みんなそうだと思うけど、やっぱりトップを目指したかった。当時、美容はヨーロッパが主流。美容学校を卒業してサロンに入るときに、まず海外へ行かせてくださいというお約束で行かせてもらった。下調べみたいな感じで、最初は二週間ほど。ファッションの中心だったからパリ、そして当時面白くなりつつあったロンドンへ。時代も動いているときだった。それからは借金してでも、頻繁に海外へ行くようにしました。自分を、外の場に置くというのは本当に大切なことなんですよ。外に行って、初めて自分を知っていく感覚がつかめた。

いったん東京から長野へ戻られましたが、それはなぜでしょうか?
自分のお店を原宿でやりたかったんですが、自分でやるには資金が足りなかった。そこで8年ほど東京のサロンで働いたあと、自分の基盤がある長野へ戻った。それからいろいろな準備をして、初めてのサロンを長野でまずオープンさせた。いつかは原宿に店を出したいという夢がある。でも当時は力不足で不可能だった。だったら自分にできることからやり始めよう。そんな気持ちでした。

長野のサロンは、他店との差別化のために、アートスペースやカフェのようなインテリアにしてわざと外からは美容室とわからないように作ったんです。だからお客さんも当然カフェとまちがえて入ってくる(笑)。それでもいいと思ってたんです。もちろん軌道に乗るまで一年はかかった。それからは、増えてくるスタッフを育てる環境をつくりたくてやっているうちに、どんどんお店が増えていった。お店も、店舗毎にまったくちがうコンセプトとインテリアを考え、それぞれにオリジナリティを持たせた。一号店、二号店という発想じゃない。逆に、同じ店は二つもいらないんですよ。

そして、昨年の表参道でのオープンへつながっていくんですね。
もちろん東京では必ずやりたいと思っていた。その一方で、長野でスタッフのキャスティングに合わせてお店を展開し、長いスパンで人を育ててきた。なるべくアグレッシブな人が育つような環境をつくってきた。でももう長野だけではリクルートが間に合わなくなってきたんですね。それに長野だけで終わっては片手落ちだとも思った。アルファと本人が思うことが合致すれば、場はどこでもいい、と。

表参道のお店は、無駄な経費を使わず、しっかりと地道にやっていこうと考えました。たとえば、人気がポンと上がれば、下がるのも早い。二等辺三角形の構造だと思うんです。だからこそ、大きな宣伝をかけないで、会社の実力でじっくりと積みあげていく方式をとりました。

東京と長野での方法論の違いというのありますか?
自分をしっかりアプローチしやすい場が、原宿かな? 逆に自分というものがないとやっていけないシビアな場ではあると思いますね。だから、ここでも差別化をしようと思った。たとえば、他店との価格競争やキャンペーンなどの宣伝には頼らなかった。サービスと技術は、常に同じもの、いや、それ以上を提供できるように心がけてます。

現在、杉山さん自身は長野と東京を行き来する生活ですか?
そうです。人の上に立たせてもらう立場だと、そこから離れてみるとよくわかることがあるんですね。この行き来が、自分をよりフレキシブルにしてくれた。それぞれの環境のよさのちがいをミックスして、ものを考えていけるようになりましたね。これは、ぼくが頻繁に海外へ行くべきだと思っていたことと似ていますね。海外のよさは、場の空気感を変えて、自分を冷静に見直すことができること。あまり自分のサロンにばかりこもっていると、自分のサロンのよさが見えなかった。それがすごい効果ですね。行き来しながらみることが、自分やサロンを見失わないでいさせてくれる気がします。

ところでお店の内装には細かなこだわりが見えますね。
仕事以外の興味は建築ですから。建築には、黄金分割とかタテとヨコのバランスがあって、ヘアスタイルとも共通点が多い。数寄屋造りでも、あのバランスに影響を受ける。で、それをちょっとハズしてみたりね。実はこの表参道の入口も、建築家とのコラボレーションで、5度だけひねって間口を広げているんですよ。そんなディテールのこだわりが凄く面白い。たとえば照明も手作り。おかげで、このサロンもグッドデザイン賞をいただいているんですよ。でも、みんなにわかんないみたいだけど(笑)。見えないところにこだわる。無駄といえば無駄、こだわりといえばこだわり(笑)ですね。

店舗づくりは、次のメジャーになりそうな若手の設計の方と組むことが多いです。有名無名を問わず、フィーリングが合って、一緒に発信できる人にお願いしていますね。まずは自分がいいと思った作品をつくっている人にアプローチします。

そういった異業種の方々との交流はどんな風に知り合われるのでしょう?
たとえば表参道のサロンは、ALPHA ART PROJECTとしてアーティストにスペースを開放しています。三ヶ月に一回の公募で、作品展示の場を提供しています。ジャンルや参加資格は一切なし。我々の規定の中でお会いして選ばせていただいています。

それに長野のまちづくりをやっている人たちともお会いする場があります。そうすると、そこに集まる全国の方との交流もできるようになった。だからいま不思議な拡がりを見せていますね、舞踏家の人たちがセッションをしていて、ぜひ見に来てくれといわれたりという交流もある。自分もそういうのが好きなんですね。

たとえば今度は長野でヘアショーをやります。じゃあ、舞踏家の人にも一緒にジョインしてもらったり、VJ、DJや演奏家を招いたり、「アンチ・デ・ジャブー」という今回のテーマにそって、アーティストの人を招いている。これもキャスティング能力のひとつですかね。

杉山さんにとって、サロンワークはどういう位置づけにあるのでしょう?
意外な、と思われるかも知れませんが、会議以外の日は、サロンでお客さまを担当させてもらっています。僕は、早くから自分の不得意な部分を最初から切り離して、得意な人にやってもらってるんです。経営は顧問を頼んで経営ユニットに、広告はGデザイナーに、金銭部分の管理は経理に、という具合。そうやって、いろいろなユニットと組んで経営をやっているんです。だからぼくはサロンワークに専念できる。それが愉しく仕事をやっていける秘訣ですかね。

これはね、外国でこういう考えを勉強したんです。1%の可能性があったらまずトライするんだということ。できるんだと、自分を暗示にかけていくこと。力が足りなければ、誰かの力を借りればいい。それでうまくいくようになった。不可能でも、可能にしてみようよといつも言い続けてます。もちろん「これはだめです」ということもありますけどね(笑)。

いままでの杉山さんにとっての3つの出会いをあげるとすればなんでしょう?

それは、まず野球でしょうね。レギュラーになれなかった人生の挫折と、チームをまとめることを学んだ(笑)。それから、海外で活躍してらっしゃった石渡先生の伝記との出会い。そこで美容師になろうと決めた。それから、会社というユニットを組んだ、うちの経営顧問との出会い。

自分でも流れてくるチャンスに沿って動いていると思いますよ。だから、運をよくするために、自分でできることはやるように心がけています。できるだけ明るく前向きに考える。あたりまえのことはちゃんとやる。朝早く起きて、お店まわりだけじゃなく、表参道の通りの外のところまで掃除をするとか、そういうことをやっていますね。


杉山さんのアルファを一言でいうとなんでしょう?
「自分を叶える始まりの道」かな? 「アルファ」という言葉には、始まり、一、無限に広がるという意味があるんです。だから、うちに入った子たちには、週に二日ある休みのうち、一日は必ず自分の将来に役立つと思えることをやりなさいとうるさく言っている。すぐに結実することでなくていい。映画を見るのでもなんでもいい、とにかく勉強しなさい、と。入ったときから常にそういう話をみんなにしています。それが、必ずあとで自分を叶える道へと続くんです。

最後に、これからの杉山さんの未来、アルファの未来はどんな風でしょう?
アルファの遺伝子を育てて、その人の生き方をキャスティングしていきたいですね。次の段階に向けて、アルファのジュニアたちがもっと育つ場所をつくっていきたい。人が来て、育っていくための環境をつくっていきたい。それは美容学校ではなくって、生きる心のエネルギーを育てるための学校。美容師のための教育の場。できれば垣根を取って、国内の人も海外の人も、うちのアカデミーに来てもらって育っていくといいですね。そんな教育施設をつくっていきたいです。

ぼくは40才を過ぎて、いまやっていることにすごく満足している。投資して若い人を育てるのは一生の仕事だと思ってる。人を育てる環境を設けるということは、とてつもない投資ですよ。でも、だからこそ人生をかけてやっていきたい。人間のパワーって、使えば使うほど、また入ってきてチャージされていくものだとぼくは信じてますからね(笑)。

取材・文/マオマオネット編集部

Kazuma Sugiyama's Work 

 

 

 

 

◎'ALPHA CONCEPT (BROCHURE)



◎'ALPHA OMOTESANDOU

◎'ALPHA OMOTESANDOU



アルファ/杉山一真 Kazuma Sugiyama

1953年生まれ。1981年に美容室「アルファ」設立。その後、長野で店舗を拡大。2001年、アルファ表参道をオープン。総店舗数7店舗。サロンワークを中心に、海外でのオリジナルヘアモード撮影、マスメディアに掲載・出演など活動中。
■アルファ http://www.alpha-hair.com


●ALPHA ART PROJECT

ALPHA ART PROJECTとは、美容室アルファ表参道を3ヶ月間アーティストの展示・発表の場として提供するプロジェクトです。展示に関する使用料は一切なし。発表するジャンル・資格などは一切関係ありません。アルファがアートシーンを盛り上げていくための試みです。展示内容にはプロジェクトスタッフによる審査があります。詳しくはお問い合わせください。

 【これまでに開催された展覧会DM】

*問い合わせ先

東京都渋谷区神宮前5-2-7 OMOTESANDO OSAKI.BLD 2F
アルファ・アート・プロジェクト事務局
03-5774-1433




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