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| さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。 |
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マオマオネット インタビュー第26弾 | |||||
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小さい頃はどんな子供でしたか?
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ぼーっとしていて、協調性のない子供でしたね。二人姉妹の末っ子だったんです。よく通知票にも「協調性がない」と書かれていました(笑)。一人で遊ぶのが好きで、うーん、なにしてたんだろう? 穴を掘ったり、庭の石をひっくりかえしたり、蟻の巣を見たり、雲をぼーっと見ていたり。そんなことをして遊んでいました、いまでもそんな感じですね(笑)。 |
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絵は、いつ頃から描かれていましたか?
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幼稚園や小学校の時から絵を描いていましたけど、下手でしたね。なんか、ヘンな絵ばかり描いてました。オジサンとか、顔の崩れた人を描くのが好きだった。少女漫画とかはあまり読んでいなくて、そういうのは描いてなかったですね。漫画では、いまでも好きなんですけど、梅図かずおさんが好きでした。梅図さんはとても絵が美しいから。漫画も、ストーリーを読むのではなく、そんな風に絵を眺めているのが好きだったんです。惹きつけられるというか…。 |
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他に影響を受けたものはなんですか?
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母が、洋裁が好きで『装苑』という雑誌を購読していたんです。で、その雑誌を小学生の頃からよく読んでいました。もちろん洋服を作る人のための雑誌なんですが、当時の『装苑』には、その他にも映画やファッションなどの文化的情報もたくさん載っていたんです。 その誌面にどこかのパーティの写真紹介や映画評論なんかが載っていて、そこで長沢節(セツ)さんがよく登場してらしたんです。そういう雑誌を読んで、セツさんのことを知っていたので、もう小学生の頃からセツさんの主催していたセツ・モードセミナー(http://www.setsu-mode.com/)(註1)にすごく行きたかった! (註1)セツ・モードセミナーは、長沢節氏の開設した「みんなが楽しく、本当の絵の勉強ができる独特の場、貧しい画学生でも気兼ねなく学べる場」としての学校。旧い眠った芸術と闘う前衛(アヴァンギャルド)としての使命を持ち続け、自由の学校として在りたいというセツ氏の願いのまま、現在も学校法人のかたちはとっていない。 |
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じゃあ、もう小学生の時から絵を学びたいという夢ができていたんですね。
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絵は、ひとりできるから。ほら、小さい頃から「協調性がない」といわれていたので(笑)。絵くらいじゃないですかねえ、協調性がなくてもできる仕事というのは。自分では、そう思っていました(笑)。 絵を描く人になりたかったんです。でも、もちろん絵だけではなかなか食べていけないですから、イラストレーターになれば仕事としてやっていけるのかなと思っていました。 |
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その他にどんな方やモノに影響を受けたと思いますか?
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やはり『装苑』でよく見ていた方では、イラストレーターのまえのまりさんが大好きでした。絵本などの挿絵をよく描かれていますよね。 |
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ではセツ・モードセミナーは、小学生からの夢だった訳ですね?
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そうですね。高校は、とりあえず3年間は我慢しようと思っていました。 |
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当時のセツ・モードセミナーでは、クラスメートにはどんな方がいらっしゃいましたか?
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本科は2年間あって、研究科が3年間、OB科は何年でもOKというスタイルでした。クラスメイトでは、イラストレーターの森本美由紀さんや神沢礼江さんがいらっしゃいました。もう少しあとになると、メグ・ホソキさんや寺門孝之さん、木村タカヒロさんなどもいらっしゃいますね。 |
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学校はどんな雰囲気でしたか? 主にどんなことを学ばれたんでしょう?
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学校ではですねえ、美味しいコーヒーを飲んだり(笑)。カフェがあって、セツ先生がときどき「今日は特別ね」っていって、入れてくださるコーヒーが美味しくて。セツ先生はフランスにどっぷり浸かっていた方なので、たとえば自由についての講義があったり、フランスでの体験話を話してくださったり。男と女のお話や愛とは?なんていうお話が面白くって。セツ哲学みたいな講義ですね。それがすごく面白かった。 |
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学校の授業スタイルが、もうセツさんそのものみたいですね。
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そう、すごく変わってますよね。学校のお庭に二人乗りの屋根のついたブランコがあるんです。私がたまに授業をさぼってそれに乗って、ぼーっとしていると。ほら、協調性のない子だから(笑)。「なにさぼってんだー!」とセツ先生が叫んでやってきて耳をつかまれるの。で、タバコなんて吸ってると、すっとそれを取って、自分でスパッと吸ってまた返される。そういうのがね、すごくキュートな先生でしたね。 |
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その後、仕事としてどんな風にイラストレーターへの道をたどられたのでしょうか?
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本科を卒業すると、ゲリラ審査というものがあるんです。それに合格すると、当時は授業料が無料になったんですよ。本科を2年いって卒業した人がゲリラ審査を受ける資格ができるんです。 |
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それはユニークですよね。学生時代に作品の売り込みをするってすごく大変じゃなかったですか?
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ええ、もうコチコチで。20才過ぎくらいでしょ? 恥ずかしいから友達同士で一緒に行ったりするんです。どうしたらいいかなんにもわからなくて、とりあえず作品をファイルして、いろいろな出版社の編集部に行きました。編集部だと、イラストの仕事があるんじゃないかと思ったんですね。いちばん最初は友達の紹介で、主婦の友社が当時発行していた雑誌『ギャルズライフ』の編集部に行きました。そのあとは、ほとんど全部の出版社に行きましたね。 |
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それからご自分のスタイルというのはどんな風に確立されていったんでしょう?
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スタイルが確立するっていうのは、いまでもよくわからないんですけど。 |
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中村さんの絵には、怖くてヘンな部分がどこかに入っていて、それがキレイなだけじゃない魅力なんだと思います。ご自分ではそういう部分は、どこから出てきているとと思われますか?
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私が子供の頃って、すごく世の中ヘンだった気がするんですね。たとえば歌謡曲では水原弘さんとか奥村チヨさんとかが流行っていて、ものすごく強烈なキャラクターがブラウン管に日常的に登場していたでしょう。CMでも「Oh!
モーレツ」なんていうヘンなものが多かった。私が10才くらいのときに、そんなヘンな世界が展開していて、そういう、気になる部分に惹きつけられたんでしょうね。ヘンなものから目が離せなくなっちゃうというか。 |
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中村さんにとっての、モノ・事・人の3つの出会いをあげるとしたらなんでしょうか?
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そうですねえ。 |
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桃子ちゃんが生まれてから、なにか変わったことはありますか?
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桃ちゃんが生まれてから、すごく現実的になった気がしますね。人間的になったというか。それでもやっぱり他のお母さんに比べると、出席しなければいけなかったのにうっかり忘れていたとか、忘れちゃってることが多いんですけど。 |
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仕事以外では、どんな趣味や遊びがお好きですか?
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桃ちゃんが生まれる前、仕事がものすごく忙しい頃は、寝ないでも遊びにいきましたね。仕事が終わると、あまりお酒は飲めないけれど、お酒を飲みにいっちゃう。で、そこにいるお客さんに、「スミマセン、チョットあなたの顔に足りないものがあるんです」っていって、知らない人の顔に油性マジックでちょこちょこっと描いちゃうの(笑)。で、「ああ、これで完璧になりました!」って。描かれた人もみんななんか幸せそうでしたけどね(笑) |
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最後に中村さんの未来についてお聞かせください。
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前に四十肩になって、去年はぎっくり腰になっちゃって…。気持ちは若かったつもりなのに、ちゃんと体は年取っているのねと実感して以来、最近は老後のことを考えるようになりましたね(笑)。 |
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