UP DATE:2002.12.02
 
さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。

マオマオネット インタビュー第26弾
イラストレーター
中村 幸子
Sachiko Nakamura
今回は、イラストレーター中村幸子さんの登場です。映画のポスター、本の装丁、広告、CDジャケットなど、さまざまなメディアで、中村さんの独特のイラストを目にする機会も多いはず。ヘンなオジサンオバサンを描いたユニークなキャラクターの絵と、キレイで怖いイメージの絵、どこか不思議な二面性を兼ね備えた中村幸子さんのイラストレーション。実際のご本人は、ぽわんとのんびりしていらして、キレイなイメージの絵と似た雰囲気の方でした。マオマオのカルタ企画でも参加いただいている娘さんの桃子ちゃん(11才)と一緒にいらっしゃるところで、中村さんの現在過去未来についてのお話を伺いました。

小さい頃はどんな子供でしたか?
ぼーっとしていて、協調性のない子供でしたね。二人姉妹の末っ子だったんです。よく通知票にも「協調性がない」と書かれていました(笑)。一人で遊ぶのが好きで、うーん、なにしてたんだろう? 穴を掘ったり、庭の石をひっくりかえしたり、蟻の巣を見たり、雲をぼーっと見ていたり。そんなことをして遊んでいました、いまでもそんな感じですね(笑)。


絵は、いつ頃から描かれていましたか?
幼稚園や小学校の時から絵を描いていましたけど、下手でしたね。なんか、ヘンな絵ばかり描いてました。オジサンとか、顔の崩れた人を描くのが好きだった。少女漫画とかはあまり読んでいなくて、そういうのは描いてなかったですね。漫画では、いまでも好きなんですけど、梅図かずおさんが好きでした。梅図さんはとても絵が美しいから。漫画も、ストーリーを読むのではなく、そんな風に絵を眺めているのが好きだったんです。惹きつけられるというか…。

 

他に影響を受けたものはなんですか?
母が、洋裁が好きで『装苑』という雑誌を購読していたんです。で、その雑誌を小学生の頃からよく読んでいました。もちろん洋服を作る人のための雑誌なんですが、当時の『装苑』には、その他にも映画やファッションなどの文化的情報もたくさん載っていたんです。

その誌面にどこかのパーティの写真紹介や映画評論なんかが載っていて、そこで長沢節(セツ)さんがよく登場してらしたんです。そういう雑誌を読んで、セツさんのことを知っていたので、もう小学生の頃からセツさんの主催していたセツ・モードセミナー(http://www.setsu-mode.com/)(註1)にすごく行きたかった!

(註1)セツ・モードセミナーは、長沢節氏の開設した「みんなが楽しく、本当の絵の勉強ができる独特の場、貧しい画学生でも気兼ねなく学べる場」としての学校。旧い眠った芸術と闘う前衛(アヴァンギャルド)としての使命を持ち続け、自由の学校として在りたいというセツ氏の願いのまま、現在も学校法人のかたちはとっていない。

 

じゃあ、もう小学生の時から絵を学びたいという夢ができていたんですね。
絵は、ひとりできるから。ほら、小さい頃から「協調性がない」といわれていたので(笑)。絵くらいじゃないですかねえ、協調性がなくてもできる仕事というのは。自分では、そう思っていました(笑)。
絵を描く人になりたかったんです。でも、もちろん絵だけではなかなか食べていけないですから、イラストレーターになれば仕事としてやっていけるのかなと思っていました。

 

その他にどんな方やモノに影響を受けたと思いますか?

やはり『装苑』でよく見ていた方では、イラストレーターのまえのまりさんが大好きでした。絵本などの挿絵をよく描かれていますよね。

あとね、デザイナーのイヴ・サンローランが描いた『いたずらっ子リュリュ』(註2)っていう漫画が載っていたことがあって、それが好きでした。リュリュっていう、ふとっちょのいたずらな女の子が主人公の漫画。白黒の線画で描かれていて、確かセリフはすべてフランス語だった気がするなあ。翻訳もしてあったのかもしれないけど…。あまり意味はわからないんだけど、小学生の頃にそれを夢中で見ていたんですね。

最近、それが本になったらしいんですけど、フランスのコレットでしか買えないみたい。パリにいかないと買えないの。すごく欲しいんですけど

(註2)1956年にイヴ・サンローランが描いた『いたずらっ子リュリュ』というバンド・デシネ(漫画)。ディオールで働いていたサンローランが、当時のクチュリエとその取り巻きを風刺したストーリー。この作品は、世界一オシャレなお店として有名なパリのコレットでのみ復刻販売されている。当時の豪華版と同じ作りで、サンローランのサインとナンバーつき、300部の限定販売。

その他には、当時『フェアレディ』というファッション雑誌があって、それも愛読書でしたね。スタイリストの佐藤千賀子さんとかがやってらして、きっと今見ても古くないものだったと思います。その雑誌では「ランチタイムス」というコーナーが、やはり当時のセツ・モードセミナーの人たちで編集しているページだったんです。柳生源一郎さんや早川タケジさんとかがやってらっしゃいましたが、そのページが大好きでしたね。柳生さんがページをデザインしてらして、早川さんはフランス人形のような絵を描いてらした。ちょっとした話や面白かった話とかがイラスト入りで紹介されているコーナーで、みんなで釣り堀に行って誰が一番よく釣れたとかいう、ほんのちょっとしたお話なんですけどね。すごく好きでした。

 

ではセツ・モードセミナーは、小学生からの夢だった訳ですね?

そうですね。高校は、とりあえず3年間は我慢しようと思っていました。

なんかねえ、ほんとに早くオトナになりたかった。子供は自由なんだけど自由じゃないでしょう? 自分で責任とれるのっていいじゃないですか? 子供だと親の許可がいるから。で、早くオトナになりたいなあって思っていました。

友達と遊んでいても他のことを考えていることが多くて。いろいろなものを観察していることの方が多くて。自分が空気みたいな存在になっちゃってて。いつもそんなカンジで過ごしてました(笑)。
だから高校を卒業して、セツに入れることになった日はすごく嬉しかった!

当時のセツでは、入学試験がなくって、先着順で来た人から入れるんです。それでもう嬉しくって朝早く学校へ行ったら、学校はまだ閉まっていて(笑)、誰もいない。その頃は人気がなかったんですねえ。そのうち先生がいらして、「あら、早いわね。いま鍵開けてあげるわね」って、学校の鍵を開けてもらった。その年、一番乗りの入学生だったんですね(笑)。

 

当時のセツ・モードセミナーでは、クラスメートにはどんな方がいらっしゃいましたか?

本科は2年間あって、研究科が3年間、OB科は何年でもOKというスタイルでした。クラスメイトでは、イラストレーターの森本美由紀さんや神沢礼江さんがいらっしゃいました。もう少しあとになると、メグ・ホソキさんや寺門孝之さん、木村タカヒロさんなどもいらっしゃいますね。

 

学校はどんな雰囲気でしたか? 主にどんなことを学ばれたんでしょう?

学校ではですねえ、美味しいコーヒーを飲んだり(笑)。カフェがあって、セツ先生がときどき「今日は特別ね」っていって、入れてくださるコーヒーが美味しくて。セツ先生はフランスにどっぷり浸かっていた方なので、たとえば自由についての講義があったり、フランスでの体験話を話してくださったり。男と女のお話や愛とは?なんていうお話が面白くって。セツ哲学みたいな講義ですね。それがすごく面白かった。

絵の授業では、人物水彩、静物水彩、ヌードデッサン、クロッキーなどを学びます。たとえばデッサンでも、すぐに描く場所を決めちゃダメなんです。モデルさんのまわりをグルグル回って、自分で面白いと思った角度やラインを、自分で見つけなさいっていわれるんです。

2年に1回は写生旅行もあります。みんなで画板を持って、ヨーロッパのいろいろなところを回るの。パリやスペインの港町とかね。それも、セカセカと忙しい旅行ではなくって、たっぷりとした時間を、ただ写生だけに費やすんです。普通、旅行へ行くと、観光しちゃったりするじゃないですか? 各地に3日くらいずつ滞在するんだけど、ずっとひとつの場所に、絵を描くあいだずっといるんです。それはすごくいいなあって思いましたね。観光とはちがう見方ができるの。絵を描いているとね、道を歩いている人にバナナをもらったり、絵筆のお水を変えるのを小さな子供が手伝ってくれたりするんです。そういうのがすごくよかった。

 

学校の授業スタイルが、もうセツさんそのものみたいですね。

そう、すごく変わってますよね。学校のお庭に二人乗りの屋根のついたブランコがあるんです。私がたまに授業をさぼってそれに乗って、ぼーっとしていると。ほら、協調性のない子だから(笑)。「なにさぼってんだー!」とセツ先生が叫んでやってきて耳をつかまれるの。で、タバコなんて吸ってると、すっとそれを取って、自分でスパッと吸ってまた返される。そういうのがね、すごくキュートな先生でしたね。

 

その後、仕事としてどんな風にイラストレーターへの道をたどられたのでしょうか?

本科を卒業すると、ゲリラ審査というものがあるんです。それに合格すると、当時は授業料が無料になったんですよ。本科を2年いって卒業した人がゲリラ審査を受ける資格ができるんです。

それは「今後は学校の中だけでなく、ゲリラ的に学校の外に出て、みなにいい影響を与えるために、いろいろな面でがんばれ」ということなんです。なんかウカウカしてられないぞということでもあるんですが。

たとえば、個展をやったり、作品を売り込みに行ったり、そういう外への働きかけを積極的に行っていくんです。で、どこそこが感触がよかったとか、クラスメートにも行った先を紹介してあげるとか、そんな風に情報を提供していって、学校を盛り上げていこうという感じでしょうか。

 

それはユニークですよね。学生時代に作品の売り込みをするってすごく大変じゃなかったですか?

ええ、もうコチコチで。20才過ぎくらいでしょ? 恥ずかしいから友達同士で一緒に行ったりするんです。どうしたらいいかなんにもわからなくて、とりあえず作品をファイルして、いろいろな出版社の編集部に行きました。編集部だと、イラストの仕事があるんじゃないかと思ったんですね。いちばん最初は友達の紹介で、主婦の友社が当時発行していた雑誌『ギャルズライフ』の編集部に行きました。そのあとは、ほとんど全部の出版社に行きましたね。

もちろん全然手応えはなくって(笑)。私、あんまり積極性がないんで(笑)、流れに任せるみたいなところがあるんですが。そうやって売り込みに行って半年くらいしたら、『ギャルズライフ』からお仕事のお話がやってきたんです。まだ在学中ですね。それが最初のお仕事です。それも、別冊の本まるごと一冊のお仕事でした。

そのころはまだ自分のスタイルとかも決まっていなかったので、なんだかわかんないうちに仕事をしていました。「いいんだろうかこんなので?」と思いながら、編集部からこんな感じで描いてっていわれたら、「ハイハイ」って描いていたので、いろいろなスタイルで描いてました。

自分でも最初のスタートに恵まれていたと思います。そのあとは、また他に紹介していただいたり、お仕事がそのままなんだかつながっていって、現在に至るって感じ(笑)なんですけど。

 

それからご自分のスタイルというのはどんな風に確立されていったんでしょう?

スタイルが確立するっていうのは、いまでもよくわからないんですけど。

自分の中では、オジサン的なヘンなイラストと、セツでやっていたタブローぽいのも好き。全然タイプのちがうものが自分の中に2つあって、それがだんだんと自然にかたまっていく感じでしょうか。

 

中村さんの絵には、怖くてヘンな部分がどこかに入っていて、それがキレイなだけじゃない魅力なんだと思います。ご自分ではそういう部分は、どこから出てきているとと思われますか?

私が子供の頃って、すごく世の中ヘンだった気がするんですね。たとえば歌謡曲では水原弘さんとか奥村チヨさんとかが流行っていて、ものすごく強烈なキャラクターがブラウン管に日常的に登場していたでしょう。CMでも「Oh! モーレツ」なんていうヘンなものが多かった。私が10才くらいのときに、そんなヘンな世界が展開していて、そういう、気になる部分に惹きつけられたんでしょうね。ヘンなものから目が離せなくなっちゃうというか。

まだセツに通っている頃、自宅のあった相模原から四谷三丁目まで小田急線と地下鉄で片道1時間ほどかけて通っていたんです。電車の中って、いろんな人がいてスゴイじゃないですか? その電車の中で、いつもヘンな乗客を盗み見しながら描いてたんです。空いているときはその場で描くんだけど、混んでるときはものすごく間近で見れるから、観察に集中していました。髪はどっち方向に生えていて、ここんとこにシワがあって、とか観察するんです。混んでるときって、綿密に他人を観察できるチャンスじゃないですか? 

電車の中で面白そうな人を見つけると、さっと近づいて観察するの。そういうときは積極的なんです(笑)。同世代やカッコいい人には興味がなくて、目がいっちゃうのも、味のある人とかクセのある人ばかり。オジサン、オバサンとかが多いですね。観察しながら、どんな家族なんだろう?どんな境遇なんだろう?って想像するのが好きなんです。
仕事で夫婦ゲンカの絵とかそういう内容も多かったりしたので、そのときの観察癖が仕事にも役立ったかな? 子供の頃の一人遊びで蟻の巣の観察をしていたのと同じですね(笑)。やっぱり自分の好きなものはずっと変わらないというか。

 

中村さんにとっての、モノ・事・人の3つの出会いをあげるとしたらなんでしょうか?

そうですねえ。

まず、小学生の時から行きたかったセツ・モードセミナーでしょうか。セツ先生との出会いも大きかったし、学校自体が先生のキャラクターそのものでしたね。

それから、桃ちゃん(中村さんのお子さん:11才)が生まれたこと。最近は、話し相手になってくれるようになってきて、私もなにかと相談したりして。なんか桃ちゃんの方がしっかりしているんですよね。似ているかどうかわからないんだけど、ときどき「あ、私もいま同じコト考えてた!」っていうことが多いかな(笑)?

あとは、旅ですかねえ。最近は近場しか行ってないけど、どこでもいいんです。環境が変わると、そこにいる人がちがったり、空気の色がちがったりするでしょう? セツでの写生旅行と同じで、ゆっくりその土地にいて人や風景を見ていることが多いですね。市場に行って、野菜を買ったり。キッチンのついているところに泊まれれば、そこに住んでいる人たちが食べているものを作って食べたり。そんな旅。

 

桃子ちゃんが生まれてから、なにか変わったことはありますか?

桃ちゃんが生まれてから、すごく現実的になった気がしますね。人間的になったというか。それでもやっぱり他のお母さんに比べると、出席しなければいけなかったのにうっかり忘れていたとか、忘れちゃってることが多いんですけど。

仕事がすごく忙しかったときに、桃ちゃんが生まれたんですけど、手のかからないいい子だったので助かりました。よくぐうぐう寝てくれていて(笑)。4〜5才になると、こっちが仕事で殺気立っているのがわかるみたいで、そういうときは一人で遊んでいてくれたりするんですよね。集中しているときは私の目つきがちがうらしくて、子供心にもわかるみたい。桃ちゃんがあんまり神経質じゃなくて順応性のある子だから、私が助けられている部分がたくさんありますね。

 

仕事以外では、どんな趣味や遊びがお好きですか?

桃ちゃんが生まれる前、仕事がものすごく忙しい頃は、寝ないでも遊びにいきましたね。仕事が終わると、あまりお酒は飲めないけれど、お酒を飲みにいっちゃう。で、そこにいるお客さんに、「スミマセン、チョットあなたの顔に足りないものがあるんです」っていって、知らない人の顔に油性マジックでちょこちょこっと描いちゃうの(笑)。で、「ああ、これで完璧になりました!」って。描かれた人もみんななんか幸せそうでしたけどね(笑)

あとは、ボーリングとビリヤードを一生懸命やってました。瞬間的なものが好きみたい。ゆっくり長くは泳げないけど、飛び込みは好きとか。ボーリングをパコーンとか、ビリヤードをスコーンとかね。集中力勝負みたいなのが好きなのかもしれないですね。

 

最後に中村さんの未来についてお聞かせください。

前に四十肩になって、去年はぎっくり腰になっちゃって…。気持ちは若かったつもりなのに、ちゃんと体は年取っているのねと実感して以来、最近は老後のことを考えるようになりましたね(笑)。

老後は、のんびり油絵を描いて、海辺の家に住んで、パイプでもふかしながら、ときどきギターをちらちら弾いたりして、そういう暮らしをしたいですね。お馬さんに乗って買い物にもいきたいし(笑)。そういう暮らしなら、老後じゃなくて、いまからでもやりたいです(笑)。

 

 

Sachiko Nakamura's Work

1983
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1992
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○中村幸子 Sachiko Nakamura
e-mail: sachikong@sky.zero.ad.jp

1959年5月9日、A型、牡牛座、東京生まれ。セツ・モードセミナー研究科卒業。1983年第1回ザ・チョイス年度賞。TIS会員。