UP DATE:2003.03.03
 
さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。

マオマオネット インタビュー第28弾
インテンショナリーズ
鄭 秀和
Shuwa Tei
インテンショナリーズの代表である鄭秀和さんの仕事は、多岐にわたります。クールで存在感のある家電プロダクトシリーズatehaca(アテハカ)、ユナイテッドアローズやストラスブルゴのショップデザイン、浅田邸や土田邸といった独創的な個人住宅、自社で企画・設計・運営する神宮前のレストラン「花見季」。家電や家具のプロダクトからインテリア、建築といったすべてをトータルに、そして見たこともないものをつくること、それが鄭さん率いるインテンショナリーズの仕事です。ソリッドでスタイリッシュな鄭さんの現在・過去・未来についてお伺いしました。

まずはじめに鄭さんのお仕事はなんとお呼びすればいいのでしょう?
ベクトルとしては建築家です。基本的には「インテンショナリーズ業」といっていますが、マスコミの方からはわかりにくいからやめてくださいといわれますね(笑)。建築からインテリア、そこにある家具プロダクトまで、すべてを統合して建築物をつくる。つまり空間すべてをつくることが仕事です。

建築家は建築だけ、プロダクトデザイナーはプロダクトだけ、インテリアデザイナーは、インテリアだけという分業制では考えていません。見たこともないものを空間化するのが、我々インテンショナリーズの職業なのです。

ただ、「これもやっている、あれもやっている」と説明すると、逆にどれが得意なんですかと?と訊かれることもあります。我々としては、どれが特化しているということではなく、いずれも均等に、すべてに100%の能力を発揮してやっているつもりです。


インテンショナリーズの代表の鄭さんご自身のことをお聞かせください。子供の時はどんなお子さんでしたか?
そうですね。明るくてガキ大将で、必ずリーダーになるタイプでした。通知簿には、「みんなをひっぱりすぎて悪ノリしすぎ」と書かれて、親にこっぴどく叱られたりね。兄が二人いたので、兄貴たちがやってることに興味を持つんんですが、たとえばプラモデルをやってみると最後まで作れないというような弟だったみたいですね。僕は覚えていないんですが…。

 

建築に興味を持たれたのはいつ頃ですか?
建築そのものに興味を持ったのはけっこう遅いですね。絵や美術は小学生の頃から好きだったので、デッサンや油絵を習いに行ったりしつつ、サッカーなどの運動もやっていました。サッカーも好きだったけれど、選手になりたいとは思わなかった。子供の頃から自分の器量を見切るところがあったんだと思います。いまでもサッカーは、見るよりやる方が好きですけれどね。

 

美術ではどんな作家がお好きでしたか?
小学生の時は、現代美術とかが好きでした。キュビズムや、ラウシェンバーグのオブジェとかを見てインパクトを感じたのをいまでも覚えています。

絵の先生に、ピカソが14才くらいのときのデッサンを見せられて、「このデッサン力があるから、のちの彼の絵ができるんだよ」といわれて、「なるほど」と感じました。しかし普通のデッサンの世界というのは、「ルネッサンスあたりで止まっている世界だな」と思っていました。

 

その後、建築を学ぶために大学へ行かれた経緯は?

高校時代は、そこそこの進学校へ通っていたんですけど落ちこぼれていて、好きなことに没頭していきました。当時はニューウェーブや現代美術が活発で、ナム・ジュン・パイクが注目されている頃ですね。

ただ、その頃、自分には湧き上がる制作意欲がないので、芸術や美術には向いていないのかなとも思っていました。でも建築には、どこか自分の制作意欲だけではつくれない部分があるじゃないですか。それならば僕にもできるんじゃないかと思った。建築を目指したのはそんな理由ですね。

ただ、絵の先生から「美大の建築科もいいけど、もっとちがった方向で建築を見た方がいいんじゃないか」とアドバイスされたこともあり、最初は理系の建築を目指しました。浪人して理系を目指したんですがやはり駄目でしたね。それで、結果的に武蔵美に受かったのでそちらの建築科へ進みました。

 

大学生活はどんな風でしたか?

理系と美術系の建築科の違いというのは、美術系は感覚的な勉強が多いのかなと漠然と思ってたんですが、そうでもないですね。まあ武蔵美は、いきなり設計をやらせるところがちがうかな? もっと感覚的なことをやるのかと思っていたら、意外に細かい作業なんですよね。「なんだこのままでは、またルネッサンスに戻ってしまう」と感じて、大学でイベントをやったりして違うことをやってました。たとえば文化祭の場を使って、仮設建築みたいなのを作ってそこでイベントやるとかね。

あとは、レコードを買いまくっていました。兄(テイ・トウワ氏)は、僕が大学3年くらいの時にはデビューしていました。まあ影響は受けてたけど、兄貴の真似をしようとは思っていませんでしたね。結果的に違う道をいく訳ですが。

大学自体は楽しかったです。建築、空間デザイン、視覚伝達デザインとか、他分野の人との交流が活発でおもしろかった。建築学科だけじゃない交流があったのがよかったですね。楽しくやってました。

大学1年のときにやったイベントは、のちにインテンショナリーズを一緒にやることになる遠藤が、イベントリーダーとしてやっていました。僕はまだ1年生で、そういう新米は普通荷物運びとかをやらされるんだけど、僕は企画書作りしかやらない。やるんだったら、これをやりたいって、自分の領土を主張して参加していました。

 

それは鄭さんのポリシーなんでしょうか?

いまでも、すごい勢いで仕事をやってるんじゃないかと思われていますけど、僕は、やらないでいいことはやらないタイプなんです。たとえば、仕事をとりまく余計なことは、スパンスパンと省いちゃう。最短距離を狙うという感じですかね。手を抜くとか要領がいいというのとはまた違うんですが。僕は、素地はまじめなんです。まじめなりに、合理化・省略化していくんです。

 

鄭さんのお好きなものはなんでしょう?

シンプルなものは好きです。でもシンプルすぎて色気がないなと思う時がある。素地として好きなミニマムなものに、どこか色気をかもしだすことで、最終的には自分の好きな「品のあるもの」にしていきたいですね。仕事でも、そういった品のあるものをつくっていきたいと思っています。

 

鄭さんの考える「品のあるもの」とは具体的にどんなものでしょう?

「品」というものが、数値化できたり、明確に言語化できれば困らないんですがね…。「品」は、そこはかとあるもなので、「こうこうこうだから品がありますよ」と説明すると、その時点で下品になってしまいます。品のいいものというのは、ある瞬間に感じることが多い。残念ながら具体例では見つからないのですが…。

 

大学からその後のことについてお聞かせください。

大学の3年生から建築についてまじめに考え始めました。大学院へ入って、真剣に建築をやりだし、大学院のプロジェクトとして都市計画のコンペを数多くだしていました。

その間に、ロンドン、フランス、スペイン、NYへも行きました。ヨーロッパの建築を見てみると、文化が違うなという感じでしたね。他方、日本は木の文化だという気がする。永続する文化もいいし、変わり続ける文化というのもいいんじゃないかと思いました。外国と日本に身を置いてみて、いろいろな意味で自分の立ち位置が見えたという感じでした。

ヨーロッパの建築に感激して、そこへどっぷり浸かるという傾向が、僕の場合にはありません。僕には、瞬間すごいなと思う作家はいても、永久にその人を信望するという部分がないんです。だから建築家に弟子入りしなかったというのも、そのせいかもしれません。いくつかのプロジェクトでアトリエに参加したことはありますが、ひとつのアトリエにどっぷりといたことはありませんでしたね。

 

建築をやる傍ら、音楽活動もなさっていましたね?

3年間くらい、建築と真剣に取り組んでいる傍ら、音楽好きが高じて、友人の「サイレントポエッツ」と共に、イベントをやったりもしてました。それで選曲も真剣にやってみようと思い、小林径さんに誘われて「ルーティン」というイベントに参加しました。大学で建築をやりながら、選曲という仕事でお金をいただいて何年か過ごしていました。

高校時代から、現代美術やキューレーションアートというのがもともと好きでしたし、僕は選曲というのはキューレーションアートだと思ってやっていました。ただ、選曲というのは夜の商売で、いわゆる消えモノじゃないですか? なんだ、これは永く続けるものではないと思ってやめました。

 

そしてそのあと、インテンショナリーズを始動される訳ですね?

先にお話しした遠藤と大堀という、大学の先輩二人も会社をやめたばかりでして。「じゃあ、1人が10年間かかる経験値を、3人で3年間でやってみよう」といって、インテンショナリーズを3人で作ったんです。それが、僕が26才の夏ですね。準備して、27才の時に会社にして、約束通り3年間3人でやりました。その第1期が終わって、いま次のステップに進んでいる状態ですね。初期の2人のうち、遠藤はオランダへ行って、いまスリランカにいます。もうひとりの大堀はいまGeneral Designをやっています。

第1期では、ある一部のことはやれたし、まったくやれなかったこともあると思います。建築というのは、考えていた以上に巨大で難しい。社会性を帯びていたり、政治的だったりして、ある種、僕たちだけでできないこともあった。あらゆる意味で強敵だなと思いました。僕らも当時まだ若かったとも思いますしね。

その第1期の3年間でやりきれなかったことを、僕がインテンショナリーズを引き継いで、第2期の3年間でやったつもりです。そしていま、第3期。建築とプロダクトとインテリアをとりまとめてやろうとしているアトリエというのは、少ないように思います。もちろん大企業ではありますけどね。いまインテンショナリーズは、それをやろうとしています。

 

東芝のatehaca(アテハカ)の家電プロジェクトについてお聞かせください。

atehacaというのは、10人のうちに1人がすごく欲しいと思ってくれるといいなと思っていたんです。もちろん万人向けのデザインではありません。

ただ、よく誤解されるんですが、企画を通すロジックとビジネスモデルをしっかり作らないと、ああいったプロジェクトの企画は通らないんです。いいデザインの物を作っても、結局ボツになってしまうことが多い。atehacaのプロジェクトは、きちんとしたビジネスモデルを組み立てたから出来たことなんです。

商品の形だけ見て、「美しいですね」なんて誰でもいえるんです。量販店でディスカウントして、価値がなくなっていく商品ではなく、プロパーで販売してくれる商品を目指しました。もちろん小ロットしか生産できない商品です。それを儲かる形で売るためにはどうするか? それは直販するしかないんですよ。メーカーにはどこにも販社がありますが、販社の使ってない販売ルートを開発して提案しました。そういう細部まですべて押さえて組み立てたビジネスモデルなんです。

もちろんそうしたことは、プロダクトのコンセプトとはまた別です。「アテハカ」というのは、高貴であるという意味の古語です。外面と内面の美しさを兼ね備えた、品のある家電をつくろうというのがコンセプトでした。品のある食器のような佇まいの家電をつくろう、と。

そういったコンセプトからビジネスモデルまでのすべてをデザインする。それがインテンショナリーズの仕事です。

 

会社の代表としての鄭さんはどんなことをお考えなのでしょうか?

会社のすぐ近くに「花見季(はなみづき)」というレストランの企画・設計・運営もやっていて、そこがひとつのレストランであり、ショールームでもあります。社員の福利厚生という意味では、そこでちゃんとした食事もでますしね(笑)。会社としての経営と戦略とを合致させたいと、常に思っています。

ポイントはひとつ。いいものをつくるということです。いまの時代は、いいものでさえつくれないじゃないですか?

そういえばネットのデマや噂サイトで、僕は大富豪の息子じゃないかとか、強力なパトロンがいるからあんなことができているんじゃないかといわれているらしいですよ(笑)。でもこの店も、個人だけでお金を借りて作ったものです。お店は、会社のショールームという位置付けもあって始めたんですが、この店を気に入ってくださる人がいて、別の仕事が始まったケースもあります。ユナイテッドアローズのショップもそうした始まりですね。

僕は、将来的にはホテルと美術館の設計をしたいと考えています。ホテルの場合は、運営も含めたかたちでやりたいと思っています。もちろんホテルの運営を行うためには、サービス業を熟知しておく必要がありますから、手始めにレストランを手がけてみた訳です。それにコンビニのメシを食べているようなデザイナーに、ホテルの設計は頼みたくないでしょう? 少なくともうちのスタッフは、体に良いものを食べていると思いますね(笑)。

 

インテンショナリーズの会社としての雰囲気はいかがですか?

インテンショナリーズは、チームで動くというのが基本的な考え方です。僕が代表としてスポークスマン的に、表に出ていますけれどね。うちの会社は、社長である僕がガーッと引っ張っていくという雰囲気ではないですね。スタッフとも、カジュアルすぎず、一定の礼節をキープしながら、集団でやっているという感じです。

 

鄭さんのいままでの人生で、3つの重要な出来事はなんでしょうか?

1つは、浪人です。浪人というのは意味がないな、と思いましたね。知識と知恵は違う。知識は詰め込み型で、知恵ではないんです。理系に転向しましたから、予備校に通っていたんです。難しいと思いながらも真剣にやりましたよ。それだけやりきったことがよかったんだと思いますけどね。やはりやらなければ駄目だな、と。対峙してみて、嫌いだからやらない、というのはいけない。一期一会ではないけど、その瞬間は全身全霊賭けて向かい合ってみて、それで駄目だったら仕方がないですよね。でもまあ、やってみて、浪人というのは大いなる無駄だなと感じましたね。それを知ったことが、自分にとって意味があると思いました。

2つ目は、旅かもしれません。観光と旅行は違うように、観光だけでは見えない本質をかいま見ることができる旅が好きですね。旅は、文化に触れるということです。建築も、本質をいえば、その土地に建物をつくって、そこに住まう器をつくる訳ですよね。自然風土、その場所にしかない特性というものが必ずある。コンセプトの前に、それありきという気がします。食や住や、そういう人間の根元に関わる部分が、旅行に行って見えてくる旅がいいですね。

いままでは海外をずっと旅していたんですが、いまは日本がいいなと感じています。京都や山がいいな、と。京都は、蓄積された文化や建物がいいですね。先日の京都では、俵屋と美山荘という宿に泊まりました。俵屋は、歴史と共にある美意識、ある種ヨーロッパ的な美意識を感じましたね。美山荘は、おおらかな京都の力強さを感じましたし、両方が興味深かったですね。そんな風に、旅によって自分の意識が変わる瞬間がいいですね。

3つ目は、奥さんかも(笑)。年上ですが、僕にとってはもう強力な存在で…。彼女はうちの役員であり、「花見季」もやっています。自分でいうのもおかしいんですけど、彼女と出会ってから、細胞が入れ替わったくらいに自分が変わった気がします。もう人格が崩壊するかと思うほど、彼女にひどく批判されることもありますよ。ただ、その批判に謙虚に対峙してみると、自分が慢心していたかなと思える瞬間があるので、そういう部分で信頼できますね。僕は人付き合いが悪い方だと思いますが、それも、うちの奥さんと遊んでいる方が一番おもしろいからかもしれないですね。趣味も合うし、遊ぶといっても二人でいろんな話をしてるだけなんですけど。痛烈に批判される時もありますが、やはり自分の為になります。

 

では最後に、鄭さんの未来についてお聞かせください。

いい建物、いい内装、いいプロダクトをつくっていきたいですね。よりいいものをつくるために、特化したインテンショナリーズを残していかないといけないと思います。そのためにも、ビジネスの母胎は、ここ数年でつくりあげていかないといけないと考えています。いいプロダクトをつくって、ライセンスを取って、よりいいものをつくっていくというシステムを整備していきたいです。

またそれとは別に、趣味でいいものをつくりたいですね。仕事で生活費を稼ぐために建物をつくるのではなく、設計費はもちろんいただくんですが。本当にいいものをつくることに意識を集中させる、そんなかたちでやっていければいいと思います。

最近、自分の仕事がだんだんキュレーションに近くなってきている気がします。プロデューサー、デザイナー、施工といった役割をすべてキュレーションして、ひとつのいいものをつくりあげていく感じです。だからこそ、それらすべてをうまく機能させるための理想的なシステムを整備していきたいですね。

 

 

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インテンショナリーズ
Intentionallies
○鄭 秀和 Shuwa Tei

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http://www.intentionallies.co.jp/
インテンショナリーズ代表。1968年神奈川県生まれ。建築の枠を越えたモノづくりレーベルとして「インテンショナリーズ」を設立。家具デザインから建築設計まで幅広く手がける。代表作には「ユナイテッドアローズ」や「ストラスブルゴ」などの店舗デザイン、レコード会社「TOY'S FACTORY」などの空間デザインなどがある。