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| さまざまな世界で活躍するクリエーターに、昔の自分、今の自分、そしてこれからの自分のお話を伺います。子どもの頃はどんなだった? どうして今の仕事を選んだの? これからどんなことするの? いろいろな方向からお話を聞くミニ自叙伝的インタビューです。 |
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マオマオネット インタビュー第28弾 | ||||||
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まずはじめに鄭さんのお仕事はなんとお呼びすればいいのでしょう?
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ベクトルとしては建築家です。基本的には「インテンショナリーズ業」といっていますが、マスコミの方からはわかりにくいからやめてくださいといわれますね(笑)。建築からインテリア、そこにある家具プロダクトまで、すべてを統合して建築物をつくる。つまり空間すべてをつくることが仕事です。 建築家は建築だけ、プロダクトデザイナーはプロダクトだけ、インテリアデザイナーは、インテリアだけという分業制では考えていません。見たこともないものを空間化するのが、我々インテンショナリーズの職業なのです。 ただ、「これもやっている、あれもやっている」と説明すると、逆にどれが得意なんですかと?と訊かれることもあります。我々としては、どれが特化しているということではなく、いずれも均等に、すべてに100%の能力を発揮してやっているつもりです。 |
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インテンショナリーズの代表の鄭さんご自身のことをお聞かせください。子供の時はどんなお子さんでしたか?
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そうですね。明るくてガキ大将で、必ずリーダーになるタイプでした。通知簿には、「みんなをひっぱりすぎて悪ノリしすぎ」と書かれて、親にこっぴどく叱られたりね。兄が二人いたので、兄貴たちがやってることに興味を持つんんですが、たとえばプラモデルをやってみると最後まで作れないというような弟だったみたいですね。僕は覚えていないんですが…。 |
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建築に興味を持たれたのはいつ頃ですか?
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建築そのものに興味を持ったのはけっこう遅いですね。絵や美術は小学生の頃から好きだったので、デッサンや油絵を習いに行ったりしつつ、サッカーなどの運動もやっていました。サッカーも好きだったけれど、選手になりたいとは思わなかった。子供の頃から自分の器量を見切るところがあったんだと思います。いまでもサッカーは、見るよりやる方が好きですけれどね。 |
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美術ではどんな作家がお好きでしたか?
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小学生の時は、現代美術とかが好きでした。キュビズムや、ラウシェンバーグのオブジェとかを見てインパクトを感じたのをいまでも覚えています。 絵の先生に、ピカソが14才くらいのときのデッサンを見せられて、「このデッサン力があるから、のちの彼の絵ができるんだよ」といわれて、「なるほど」と感じました。しかし普通のデッサンの世界というのは、「ルネッサンスあたりで止まっている世界だな」と思っていました。 |
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その後、建築を学ぶために大学へ行かれた経緯は?
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高校時代は、そこそこの進学校へ通っていたんですけど落ちこぼれていて、好きなことに没頭していきました。当時はニューウェーブや現代美術が活発で、ナム・ジュン・パイクが注目されている頃ですね。 |
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大学生活はどんな風でしたか?
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理系と美術系の建築科の違いというのは、美術系は感覚的な勉強が多いのかなと漠然と思ってたんですが、そうでもないですね。まあ武蔵美は、いきなり設計をやらせるところがちがうかな? もっと感覚的なことをやるのかと思っていたら、意外に細かい作業なんですよね。「なんだこのままでは、またルネッサンスに戻ってしまう」と感じて、大学でイベントをやったりして違うことをやってました。たとえば文化祭の場を使って、仮設建築みたいなのを作ってそこでイベントやるとかね。 |
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それは鄭さんのポリシーなんでしょうか?
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いまでも、すごい勢いで仕事をやってるんじゃないかと思われていますけど、僕は、やらないでいいことはやらないタイプなんです。たとえば、仕事をとりまく余計なことは、スパンスパンと省いちゃう。最短距離を狙うという感じですかね。手を抜くとか要領がいいというのとはまた違うんですが。僕は、素地はまじめなんです。まじめなりに、合理化・省略化していくんです。 |
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鄭さんのお好きなものはなんでしょう?
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シンプルなものは好きです。でもシンプルすぎて色気がないなと思う時がある。素地として好きなミニマムなものに、どこか色気をかもしだすことで、最終的には自分の好きな「品のあるもの」にしていきたいですね。仕事でも、そういった品のあるものをつくっていきたいと思っています。 |
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鄭さんの考える「品のあるもの」とは具体的にどんなものでしょう?
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「品」というものが、数値化できたり、明確に言語化できれば困らないんですがね…。「品」は、そこはかとあるもなので、「こうこうこうだから品がありますよ」と説明すると、その時点で下品になってしまいます。品のいいものというのは、ある瞬間に感じることが多い。残念ながら具体例では見つからないのですが…。 |
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大学からその後のことについてお聞かせください。
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大学の3年生から建築についてまじめに考え始めました。大学院へ入って、真剣に建築をやりだし、大学院のプロジェクトとして都市計画のコンペを数多くだしていました。 |
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建築をやる傍ら、音楽活動もなさっていましたね?
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3年間くらい、建築と真剣に取り組んでいる傍ら、音楽好きが高じて、友人の「サイレントポエッツ」と共に、イベントをやったりもしてました。それで選曲も真剣にやってみようと思い、小林径さんに誘われて「ルーティン」というイベントに参加しました。大学で建築をやりながら、選曲という仕事でお金をいただいて何年か過ごしていました。 |
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そしてそのあと、インテンショナリーズを始動される訳ですね?
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先にお話しした遠藤と大堀という、大学の先輩二人も会社をやめたばかりでして。「じゃあ、1人が10年間かかる経験値を、3人で3年間でやってみよう」といって、インテンショナリーズを3人で作ったんです。それが、僕が26才の夏ですね。準備して、27才の時に会社にして、約束通り3年間3人でやりました。その第1期が終わって、いま次のステップに進んでいる状態ですね。初期の2人のうち、遠藤はオランダへ行って、いまスリランカにいます。もうひとりの大堀はいまGeneral
Designをやっています。 |
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東芝のatehaca(アテハカ)の家電プロジェクトについてお聞かせください。
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atehacaというのは、10人のうちに1人がすごく欲しいと思ってくれるといいなと思っていたんです。もちろん万人向けのデザインではありません。 |
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会社の代表としての鄭さんはどんなことをお考えなのでしょうか?
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会社のすぐ近くに「花見季(はなみづき)」というレストランの企画・設計・運営もやっていて、そこがひとつのレストランであり、ショールームでもあります。社員の福利厚生という意味では、そこでちゃんとした食事もでますしね(笑)。会社としての経営と戦略とを合致させたいと、常に思っています。 |
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インテンショナリーズの会社としての雰囲気はいかがですか?
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インテンショナリーズは、チームで動くというのが基本的な考え方です。僕が代表としてスポークスマン的に、表に出ていますけれどね。うちの会社は、社長である僕がガーッと引っ張っていくという雰囲気ではないですね。スタッフとも、カジュアルすぎず、一定の礼節をキープしながら、集団でやっているという感じです。 |
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鄭さんのいままでの人生で、3つの重要な出来事はなんでしょうか?
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1つは、浪人です。浪人というのは意味がないな、と思いましたね。知識と知恵は違う。知識は詰め込み型で、知恵ではないんです。理系に転向しましたから、予備校に通っていたんです。難しいと思いながらも真剣にやりましたよ。それだけやりきったことがよかったんだと思いますけどね。やはりやらなければ駄目だな、と。対峙してみて、嫌いだからやらない、というのはいけない。一期一会ではないけど、その瞬間は全身全霊賭けて向かい合ってみて、それで駄目だったら仕方がないですよね。でもまあ、やってみて、浪人というのは大いなる無駄だなと感じましたね。それを知ったことが、自分にとって意味があると思いました。 |
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では最後に、鄭さんの未来についてお聞かせください。
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いい建物、いい内装、いいプロダクトをつくっていきたいですね。よりいいものをつくるために、特化したインテンショナリーズを残していかないといけないと思います。そのためにも、ビジネスの母胎は、ここ数年でつくりあげていかないといけないと考えています。いいプロダクトをつくって、ライセンスを取って、よりいいものをつくっていくというシステムを整備していきたいです。 |
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