2000/07/12

銀河映像社 ゴシマカズヒロ
| SF野郎が熱く語る、ありとあらゆるSFについてのあれこれ。廃盤のソフトもあるけど、興味があったら中古店やレンタルでゲットしてみてね。 |
第4回 巨匠、小松左京の夢と現実、「さよならジュピター」(1984)

イキナリな、あまりにもこれ見よがしな献辞。
ファーストカットである。
「東宝」より前に出ちゃうんである。思わず全身が汗ばむ。
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一般的に、日本のSF映画って、どうも主流じゃないって認識がある。その昔、円谷英二親分がバリバリやってた頃とかでも、和製SF映画は「子供だまし」的な批評が大半だった。映画史として語られる和製SF映画は現在に至るまで「ゴジラ」のみで(興行収入的にはヤマト、ガンダム、銀河鉄道999などがトップに立った年はあるが)、その他については「ちゃっちい」「パチモン」「お子さまランチ」ってのが、悲しいかな、一般常識って感じだ。近年でも「エヴァンゲリオン」っていう社会現象や、「ガメラ」シリーズみたいに映像品質的には世界一って作品もあるんだけど、やっぱり和製SF映画はマニアやオタクの範疇で、なかなか「マトリックス」や「エピソード1」と同じ土俵では語ってもらえない。(唯一の例外が宮崎アニメだろうか)
「さよならジュピター」、この作品は、はじめから映画化を前提として企画された。プロダクションデザインは後に「超時空要塞マクロス」で一世を風靡、後の日本のアニメをちょっと困った方向に導いた「スタジオぬえ」。映画のストーリー作業と平行してデザイン作業が進められるという力の入れ方だった。オイラは小学4年生の時、「さよならジュピター」という映画が進行していることを、某アニメ誌のスタジオぬえ特集で初めて知った。カッコよかった。あまりにもかっこよすぎた。そろそろ「宇宙戦艦ヤマト」の嘘臭さにガキながら辟易とし、「ガンダム」がすべてだと思っていた時代、その緻密な本物っぽいメカデザインは衝撃だった。それから何年か、オイラの知らないところで「さよならジュピター」はコツコツと作り続けられていた。チビッコのオイラにとって、それは宇宙ステーションとか、リニアモーターカーとかと同じように、「スゲー未来」の一部になっていつも頭の隅を占領し続けていた。何年か経って、ついに「さよならジュピター」は公開された。
この当時、すでに欧米SFXを代表する”魔術師”ダグラス・トランブルは「未知との遭遇」「スタートレック」「ブレードランナー」という完璧なSFXを作っていた(デジタルSFXが当たり前になった今日でも、これらをしのぐ視覚効果にお目にかかったことはない)。「さよならジュピター」と同時期に公開された「2010年」(特撮はリチャード・エドランド)も、冷たさまで感じさせるの宇宙のリアリティがすごかった。しかし、これらと対抗しようと、体育会系な意気込みだけの日本の特撮はまるで16ミリで撮ったかのようなビンボ臭い宇宙のままだった。主人公の三浦友和はこれが最後の二枚目役だったんじゃないだろうか? この後、性格派俳優として日本映画を代表する俳優になるわけだが、この映画での格好悪さはどうだ。 興行側が話題にしたがっていた、「無重力セックス」のガラスの上にスッポンポンで寝転がってるいたたまれなさはどうだ、新興宗教「ジュピター教団」の、あまりといえばあまりなヒッピー感覚はどうだ、イルカのジュピターの、右、左とジャンプする間の悪さはどうだ、「宇宙言語学者」の話す、文字通りとってつけたような吹き替えの日本語はどうだ、ジュピター計画の技術主任らしい、メガネのガキンチョのフニャフニャ感はどうだ、ジュピター「ミネルバ2」から脱出する宇宙船の、しっかりしたミニチュアと裏腹の重量感のない動き、ライダーキックみたいなカメラワークはどうだ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… (中略)
ああ、やっぱりやめれば良かった、この映画を語るのは。つらい、あまりにもつらすぎる。意気込みは清々しく、美しい。しかし、結果がそうであるとは限らない。パソコンを買えばスッゲーカッコいいデジタルライフがはじまるような気がしたり、カメラを買えばアートが撮れたり、写真が縁でひょんなことからガールフレンドが出来るような気がしたり、そんな甘酸っぱいトキメキと、現実を知ったときのあまりにも苦い喪失感。この映画はつらいのだ。しかし、大好きなんだ、宇宙と未来とSFが。 その、夢と現実ギャップの信じられない広大さは本編を見てもらうしかない。小説版も併せて読んでいただけると、小松左京の凄さもわかると思う。キャプチャもいつもよりたくさん撮ったのだが、これだけでは本当のつらさは伝わらない。見ているのもがこれだけつらいのだ。当事者の脱力感はどれほどの物であっただろう。なんか自分のことみたいに泣けてくるゼ。ちぇっ、なんかシメっぽくなっちまったなあ。 こうして、「世界に通用するSF映画」という気宇壮大な試みは、これ以上ない失敗におわった。この後、日本のSF映画が再び世界に挑むのは、(異論のある人もいようが、)「アキラ」を待つことになる。オイラは、今度こそ日本SF映画が変わるんじゃないか、今度こそスゲー物が観れるんじゃないかという淡い期待を抱きつつ、「帝都物語」や「ゴジラ対ビオランテ」を観て、その度、失恋に似た痛みを抱えて劇場を出るのだ。(帝都物語はもう一寸で傑作だと思うが。)日本映画でCG特撮が当たり前になった現在でも、「王道」SF映画は復活していない。観たいよー、失敗作でもいいから、直球勝負の日本SF映画が観たいよー、「地球防衛軍」みたいな、「妖星ゴラス」みたいな、ズバーンとド真ん中の映画。死ぬまでに、そんな映画を作るのが、きっとオイラの夢なのだ。 今回はちょっと辛かった。 次回は、マイ・フェイバリットに押す人も多い大傑作「バンデットQ」
さよならジュピター('84)
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